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支援とはなにか [就労支援]

仕事柄「支援」という言葉をよく口にする。でもこの言葉がしっくりこない。それはなぜか。NPO法人地域生活支援ネットワークサロンの日置真世氏が「支援」という言葉について次のように書いている。
「従来「支援」という表現にはする側とされる側という対極的な関係性の行為がイメージされるため、別の言葉を使う方がふさわしいと思うが、まだ見つかっていないため「支援」と表現する」(『ともに生きともに育つひきこもり支援』山本耕平.P43)。
この違和感は、する/されるが潜んでいるからだ。一方が支援を施す、他方が支援を受けるになるからだ。
私にそんなつもりはない。私は<したい>からする。相手もなんとか<したい>からする。どちらも《する》である。「支援」をあえて定義すれば、「ともに<やりたい>ことをする」なのである。したがって、ひきこもり支援は「ともに<やりたい>ことをすることで<やりたい>自分をつくること」と定義できる。
するは能動態、されるは受動態である。だが、能動態でもなく受動態でもない態がある。それを中動態という(詳しくは國分功一郎『中動態の世界』参照)。能動/受動からは何も生まれない。そろそろその二項対立から抜け出さないといけない。中動態からはじめよう!
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仕事としての「ひきこもり問題」 [就労支援]

竹中哲夫先生の本を読んだ。先生は、日本福祉大学心理臨床研究センター(心理臨床相談室)研修指導員として、ひきこもり支援を専門としているらしい。現在、79歳。現場に立ちながらひきこもり支援論の理論構築に尽力されてきた(ようだ)。
ひきこもりの問題は、工藤定次氏や斎藤環氏がクローズアップされがちだ。けれど、竹中先生の実践と理論が、いまのところ私には一番しっくりくる。
ひきこもりの問題特有のむずかしさの一つは、「生き方」をふくんでしまうところにあるように思う。いわゆる「人生論」がどうしても関係してくる。「人生論」というのは哲学の領域にも踏み込んでしまうのだが、それには実は正解がないのである。それこそ、どう生きようがそれは個人の自由なはずである。それは憲法の個人の尊厳、つまり人権の要素がたぶんに含まれてくることになる。
「人生論」という生き方指南ではなく、支援として、仕事としての限定の範囲の内でどこまでひきこもりの回復(寛解)できるのか。そのあたりを竹中先生は追究されたのではないか。「人生論」まで含めるといわゆる価値観(規範意識)にまで関わる。それはそのままいくと宗教にまで及んでしまう。その一歩手前で止まる範囲で社会的、政治的になんとかしようとするその立ち位置が今の自分にかなり近い。そこでなにができるか、いかにできるかを探っていきたいと考える。
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きぼう [就労支援]

社会的に孤立しがちな若者の就労支援にとって、<希望>はキイワードなようだ。

玄田先生は「希望学」、山田先生は「希望格差社会」といっている。希望があることが若者に限らず、わたしたちが働いていくため、生きていくためには大事な要素なようだ。

でも、じゃあ、希望って何なんだろう? 希望をちゃんと考えたひとがいるのだろうか?

少なくとも、ミルトン先生は考えていたようだ。それは、先生の『ケアの本質』を読むとわかる。

たとえば、希望とは…
①“現在の豊かさ”の表現
②生き生きした現在そのもの
③活力を与えてくれるもの
④何か身をゆだねるものがある状態またはあり得る状態
⑤春の到来に似ている

また、希望と期待の違いとは…
期待は、特定(限定)されたもの。希望は、もっと一般的なもの。

さらに、正しくない希望とは…
正しくない希望は、現在より先やなるべき将来を良しとし、現在をそうでないダメなものとみなす。また、現在より先が最優先される事柄で、現在はそれに従属する単なる手段とみなす見方。
たとえば、子どもの将来ばかりをみて、子どもの今の姿を見ようとしない親。
一方、正しい希望は、将来まで視野にいれつつ、現在の意義を拡大するもの。

いや~、深いわ、ミルトン先生。

あなたは希望的観測でもなく、根拠のない期待でもない、正しい希望を持ててますか?
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はじめ [就労支援]

[手(チョキ)]情報提供[耳]

高岡にサポートステーションができます[ぴかぴか(新しい)]

1ヶ月後の6月14日(月)、無業(職業・学業に就いていない状態)の若者や引きこもりの若者をサポートする総合相談窓口が、高岡市駅南に、開所します。

開所式[バー]に、わたしも参加する予定です。
若者を応援する“はじまり”を応援したいと考えています。

若者サポートステーションは、今年度全国で100ヶ所、富山県内では2ヶ所目になります。

★全国の若者サポートステーション http://www.neet-support.net/
★富山の若者サポートステーション http://www.youngjob-tym.jp/saposute/
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曖昧 [就労支援]

お勉強と仕事の違いは何か?

学校では、早く正確に問題を解くこどもが評価される。
会社では、早く正確に業務を遂行するひとが評価される。

どちらも…
「あいまいさを減少させていくことこそが最重要課題である」
と考えているひとがいる。

しかし、その一方で、最近…
「仕事は、その課題の遂行をいかにあいまいにこなせるかが最も重要だ」
と考えるひとがいる。

なぜならば、仕事は変化を産むことである。変化は厳密でない。あいまいな過程である。
だから、仕事はあいまいであり、いかにあいまいにこなすかである。

実は、このあいまいさ、実行するには相応の熟達が必要。
だが、目標はあくまでも厳密に仕事をこなすのではなく、いかにあいまいにこなすかである。
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質問 [就労支援]

面接であれ、合説であれ、求人側から最後の方で「では、何か質問はないですか?」といわれる。

だが、そこで質問するのは実は至難の業だ。では、なぜ、質問できないのか。それは、ひとつには質問そのものが高度なことであること。それと、質問することをあらかじめ想定しながら話や説明を聞いていないとできないこと。このふたつがあるとわたしは考える。

なぜなら、講演会を聞いたあと質問を受け付けられたときが、そうだからである。

では、そもそも質問とは何か。それはふたつある。

ひとつは、補完の質問。もうひとつは反論の質問である。

前者は、説明の不足の部分を突くこと。たとえば、専門用語などの意味。説明している側はあたりまえと思っていても、説明を受ける側にとっては知らなくてもあたりまえということがある。それは、説明する側に責任がある。だから、質問する。

後者は、論理の飛躍の部分を突くこと。話や説明を聞いていて、「なぜ?」「どういうこと?」という箇所を指摘する。つまり、論理の甘さを見逃さないことだ。それに対して、きちんとした応答がなされていけば、互いに理解は深まる。だから、質問する。

したがって、この補完と反論のふたつの観点をもつこと。かつ、事前に質問することを自分に課して話や説明を聞くこと。このふたつがあってはじめて質問できる。質問とはそういう種類のものであろう[猫]
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推論 [就労支援]

[図解]大人のケンカ必勝法 論争・心理戦に絶対負けないテクニック先日も少し紹介したが、『大人のケンカ必勝法』
(和田秀樹著 2005年9月 PHP研究所)

これが結構面白い。

著者は精神科医でもあり、その主張は就労支援に応用できそうなのだ。

そのひとつがこれ[バッド(下向き矢印)]
スキーマがある人は、相手の意見をまったく受け入れないことが多い。(P26)
スキーマとは思い込みである。働きたくても働けないひとのなかには、「はい、わかります」「はい、わかりました」といいながら、まったくこちらの意見を受け入れないひとがいる。最初の頃は、頭ではわかっちゃいるが行動に移せないんだろうと思っていた。しかし、行動がわかったことの証拠なのだから、結局わかっていないんだ、受け入れていないんだ、と最近思うようになった。

では、なぜ受け入れないのかというとスキーマがあるからである。そして、スキーマとは…
スキーマの怖さは、(略)自分が強い思い込みを持っていると、二項対立的になり、別の可能性、つまり並列で存在する他の可能性を想像できなくなってくる。
例えば、「学校の勉強をすれば頭が良くなる」「ゲームをすれば頭が悪くなる」というスキーマを持つ親がいるとする。

しかし、これは正しいのだろうか。「頭が良くなる」方法を正しく探るとしたら、勉強もひとつ、ゲームもひとつ…。他にも、スポーツや読書もそう、イタズラ、農作業、家の手伝いも…と、いろいろな可能性から推論することができるはずである。

結局、<勉強が良い・ゲームが悪い>という二項対立的な思考に囚われている。そうではなく、並列の関係でより幅の広い選択肢が存在することを示した方が建設的でかつ健全な思考である。

したがって、働きたくても働けないひとのスキーマも同じことで、まずは「自分だけじゃない、他のひともおんなじ思いをしているんだ。わかってくれるひとがいるんだ」ということから、「こういうひともいる。ああいうひともいる」という幅をもち、さらに「どんなときでも、他の選択肢や方法がある」と思い、いろいろな可能性からよりよい解決案を出すという方法を知る。

そうすれば、いろいろなひとの意見も受け入れられるようになる[猫]もんだ。
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就活 [就労支援]

シューカツ!『シーカツ』(石田衣良著 文藝春秋 2008年10月)

いや~、泣けた[もうやだ~(悲しい顔)]最後に…。さすが、ツボを心得てるなぁ(作者に感心)。

千晴ならできる、千晴ならできる、千晴なら絶対できる」の三連発。
(「気合いだ、気合いだ、気合いだ~っ!」と多少ダブったけど…)

それと、P244のセリフが的を得ている、芯をついてる
「おれだって、社会が怖い。千晴だって、試験は怖い。でも、なんとかやってるのは、自分が完璧じゃないとわかっているからだ。比呂氏はさ、頭がよすぎるからよくない。だいたい頭って、すぐ自分は間違っていないと思っちゃうだろ。おれたち人間がもってるたくさんの道具のひとつのくせいに、わがままで自分が人間って生きものの中心だって、勘違いしてるんだよ、おれたちの頭ってさ」(下線-盛田)
わかるだろうか(少し、養老氏&茂木氏が入ってるけど…)。脳は自分が正しいと思う。けど間違い。完璧なわけはない。だから、活動する。

今年の就職戦線は大変だ。今年の大学3年生諸氏は苦悩しているだろう。それも今がピーク。

でも、その苦しさの先には、いいことがある。

結果はどうであれ、就活終了したら、学生生活を思いっきり楽しんでください[猫]ごくろうさまでした。
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試論 [就労支援]

いわゆるニート、つまり働きたいのに働けない、また働く意欲がもてない若者がいるのはなぜか? 

私はそれに対して、“父性の不在”という仮説を立ててみた。

以下順に、①子性②母性③父性④家について説明し、それを論証してみたい。

その前提として、<父性=父親>ではない。<母性=母親>ではない。子性=子どもの心的傾向。これらを確認しておく。

①子性
子どもには、社会的参照という特性がある。これは本能と経験(実体験)の中間に位置する“観察学習”である。ヒトは他者を観察することによって情報を入手する。子どもは、その能力が異常に高い。
ヒトの子どもがみずからの判断の基準を、同種の仲間という社会的存在を参照することで求めようとする現象は、一般的に社会的参照と呼ばれている。(正高信男著『父親力』P17)
それと、恐怖感を獲得する能力が高い。小学校の一時期、私は死を異常に恐れた時期があった。身内の死があったかもしれない。しかし、誰しもそういうことはあるのではないか。それは自己を守るために、もって生まれた本能的(遺伝的)なものではないか。

また、死以外にも、自己の存在を脅かすものには恐怖心を抱く。例えば、蛇とか、毛虫とか…(笑)。もともと子どもは恐怖を獲得すると強く記憶するようだ。事実、幼少期は楽しいことは忘れていても、怖いことは意外と憶えている。
それはヒトの子が幼少期を安全に乗りきるために、生物として、いまなお保有する遺伝的資質の反映であることがわかるだろう。(正高信男著『父親力』P26)
社会的参照と恐怖。このことから、子どもは無意識的に一番身近な存在である親の気持ちの動きから恐怖を察知している(せざるを得ない)。つまり、子どもは親から恐怖を学びとる。

たとえば、親にとって“カイシャ”が恐怖の対象だったらそう学習するし、“シャカイ”を変革すべきものだと親が思っていればそういう価値観をもつ。親が“ジンセイ”を否定的に捉えて毎日生きていたら、子どもは肯定的な人生を学ぶ機会がない。すなわち、親は社会の生きた媒体である
子どもにとって親は、社会を知るための貴重な情報源。(安藤哲也著『パパの極意』P40)
また、子どもは「私を本当に守ってくれるのか?」を親に問いかけている。しかも全身で…。それゆえに、子どもに対する親の接し方、親が子に対して向かい合う姿勢の影響力はどのヒトよりも大きい。
人間とは矛盾したもので関係の希薄な人間より、本来愛情を注いでくれる人間が自分を庇ってくれなかったほうがより深く傷つくものだ。(鈴木光司著『父性の誕生』P43)

②母性
母性は子にとっての安全基地のような働きをする…。(正高信男著『父親力』Pⅰ)
その一方で、母性は子性を囲い込む傾向がある。つまり、父性に任せると不安で仕方ない。つまり、子性の回りに母性の堅い門が存在する。その理由を、カナダの父親支援プロジェクトの「父親を子育てに参加させるときに直面する難問」から引用する。
父親が家事・育児をすることに対して、(略)たとえば、・父親の「子どもを世話する人」としての能力への疑問 ・自分の領域の支配権をなくすという不安感 ・子育ての基準を下げたくない(妥協したくない)という気持ち(安藤哲也著『パパの極意』P140)
母性は子どもを守ることである。そして、母子関係は育児の実証的研究が盛んに扱われている。しかし、母子関係以降の“育児”の研究は驚くほど少なく何もわかっていないらしい。前述の正高信男著『父親力』Pⅰの続きはこうである
いつまでもそこにとどまっているばかりでは、物事が新たな展開をみないのは明らかである。
だから、子どもが母性とのコミュニケーションに困惑したときがひとつの転機なのかもしれない。
「もう、おかあさんは私(ぼく)のことを好きでなくなったのだろうか」とでも表現できるような気分に陥ったときこそ、父親の出番である。(正高信男著『父親力』P128)
「おかあさんに好かれていない」=(は、)「すべてをなくすこと」ではない。「おかあさんが大切と感じるもの」<(より、)「周囲にはもっと多様な価値がある。それを知る。そして「親はああ考えているが、私は別にこう思う」ことでできてはじめて、社会に生きるひとりの個人が生まれる。子性から個性への生成変化である。

③父性
つまりは…
親の価値観を受け継ぎ、期待に応えつつも、本人ならではの生き方というものを、いつかは模索しなくてはならない。(正高信男著『父親力』P128)
そのために生きた媒体となることが親の役目であり、そのなかの父性とは…
その第一の条件に危険に立ち向かう勇気を持つことを挙げたい。(鈴木光司著『父性の誕生』P124)
父性を介して、ヒトは社会的な生き物へと移行していく。父性は人間も含めた自然と立ち向かう力や野生との交流、闇の世界を提供する。
社会化をめざし、自然のなかへのり出していくためには、親がまさにそこへ出かけていく姿を子にさらさねばならない。あるいは、直接に見せるのがむずかしいなら、次善の策としての語ってきかせることが以前にも増して重要性を帯びてくるのだ。(正高信男著『父親力』P114)
少し山っ気があるくらいが目安かな…(経験上)。つまりスリルへの志向とでもいうべき心性である。
不安におびえているばかりでは、永遠にそこへ到達することはない。意を決して出かけなくてはならないのだが、さほど強い決断をしなくとも、われわれには生まれながらに、こわごわながらも未知の体験に挑んでは、それに喜びをおぼえる感受性が備わっている。(正高信男著『父親力』P148)
めくるめくような体験は、恐怖と喜びの両義性のなかにある。恐怖感は、自分の安全が保障されていることがわかると、その恐怖感が快感に転じるものである。
(子どもが周囲の大人に)「ほら危ない、でも大丈夫」と跳びはねてみせる。それはまさにいままで入っていけなかった領域を開拓した喜びの感覚-まさに遊びがもたらす快感の原初の姿をみるのである。(正高信男著『父親力』P144)

④家
核家族とは家庭の磁場が非常に強くなっている場所だと述べた。うまくいっている時にはこの磁場は絆という言葉で表されるが、いったんマイナスの方向に向き始めると、この磁場は拘束力となって、家族を締めつけるようになっていく。(鈴木光司著『父性の誕生』P42)
家=磁場。すなわち、家とは互いを引きつける場所。

そもそも核家族は、家父長制度=家を守るという拘束から自由になるための人員構成ではなかったのか。事実、当初は誰にも(祖父母などに)気兼ねなく暮らせる夢のマイホームだったはずだ。

しかし、昨今、その核家族は父親サラリーマンと母親社会参画で共働き家族となった。また、男性の育児参加が増えている。しかし、これは今のところ“当惑する妻を助ける”ために過ぎない。いわゆる“惜しいパパ”(「どこかにある父親像を真似するのではなく、自分らしく、無理しなくていいんだ」という確信をもったパパではないパパのことをいう=安藤哲也著『パパの極意』P26)である。

確かに、保育園の送り迎えや小学校の学校行事でみる父親の姿はここ数年でかなり急増している。にもかかわらず、そこには父性はない。家のなかでは構成員による役割分担の混乱がみられる。
家族に話を戻せば、さまざまな家族の形態を辿り、現在の形に辿りついた。その形が、正しいか正しくないかは、それが未来に向けてどのような形をとっていくかによる。(略)核家族、父子家族、母子家族、どんな形態であれ、そこに生きる人間が多様性を維持するための方法を模索する時期に来ているのかも知れない。いわんや父性もまた、である。(鈴木光司著『父性の誕生』P201)

⑤結論
働きたいのに働けない、また働く意欲がもてない若者は、母性と父性がバランス良く機能する家で育てられなかった存在ではないか。たとえば、父性の影響力が希薄になり、母性の占める比重が一方的に増大している家。または、逆に幼い時期から父性ばかりが強くて母性が希薄である家。要するに、働けない若者は、父性または母性を学ぶ機会が失われた存在である。

特に、“父性の不在”は進学はできても就職では躓く要因となる。また、“父性の不在”は漠然とした危機感や曖昧な不安の過剰を抑制できない。さらに、自己を守ろうとする意識や命の大切さを希薄にさせる。

昨今、就職戦線は長期化しており、さながら消耗戦(不安との闘い)の様相を呈し悲惨なものとなっている。だからというわけではないが、余計に父性の《語り》が効いてくる。すなわち、父性から学びとった、社会に出るという恐怖と喜びの両義性が生きてくる。そして、自分自身を鼓舞する力が蘇る。

それは、一度、過剰に恐怖を味わった若者にとっても同じだ。
高等哺乳動物はいったんヘビを恐れ始めるや効果は終生続く。(正高信男著『父親力』P10)
つまり、恐れるという態度は変わることがない。これが働きたいのに働けない、また働く意欲がもてない若者の生物学的心性である。恐怖は緊張を生み、足が竦み、固定させてしまう。これは認めざるを得ない。仕方がない。諦めよう。

したがって、子どもは適切な時期に、父性から、柔軟に外と接近する力を自発的に学びとる。そして、社会性を獲得する。

それは、すでに恐怖に囚われている若者とて同じことである。つまり、そこからでも社会性の獲得は不可能ではない。ただ、それにはそうでないひとには理解できない恐怖との闘いが含まれている。
闘いへの再チャレンジは、負けたときの恐怖を克服する過程でもあったのだ。(鈴木光司著『父性の誕生』P205)

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数学 [就労支援]

『仮説力』(竹内薫著 2007年2月 日本実業出版社)から

数学ができる人とできない人の違いの典型的な例は、「または」の使い方である(P76)という。

つまり、「AまたはB」といったときに、数学の「または」は①Aだけ、②Bだけ、③AとB両方の3つある。ところが日常会話は①Aだけ、②Bだけの2つだけ。

数学的に訓練を受けている人(数学ができる人)は、前者。つまり、3つ考える。あるいは、後者の2つだけで考えたとしても、オプション(排他的OR)として考えている。

ちなみに、これは論理学の“両立可能性”や“ド・モルガンの法則”の「(AまたはB)ではない」の否定(両立不可能な主張)は「(Aではない)かつ(Bではない)」と似てないか。

それができる・できないで違うらしい。著者はそれを“数学力”といい…
数学力というのは、物事を非常に細かく正確に分析する能力といえます。数学を少し勉強するだけで、微妙なちがいがわかってくるので、より分析能力が上がってくるんですね。(P79)
難しいとか複雑な事を判断するにはこの能力が必要だ。そして、微妙な違いを嗅ぎ分けながら判断するのだろう。勘ではあまりに頼りない。

“数学力”は、入力と出力のほかに、中間層をいれることで学習できる。逆に、単層では入力と出力の層しかなく、判断できない。つまり、AならA、BならB。いわゆる「単細胞」というやつである。

状況を細かく厳密に区分けする“数学力”。これが柔軟な判断力を生む[猫]う~私、数学苦手でしゅ…
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経由 [就労支援]

『週刊金曜日』(738号)広瀬純氏コラム【生の最小回路①】“『蟹工船』よりも『バートルビー』を”より
働かないことからしか「自分の人生を生きる」ことは始まらないのではないか。(P38)
これは“職を失ったときに誰しもがふと心の奥底で思う密やかな問いかもしれない”と広瀬氏はいう。

短編小説『バートルビー』とは、バートルビーという人物があるときから、職場の上司の命令に「しないほうがいいのですが…」と繰り返すようになり、解雇され、最終的には食事すら「しないほうがいいのですが…」といってのけ、餓死してしまう話らしい。

しかし、これは「自分の人生を生きる」ことを肯定するがゆえに、生物的生存を否定してはいないか。そうではなくて、まず生物的生存を肯定し、次に「自分の人生を生きる」のがあたり前ではないか…。

いや、そうではなく、われわれは<生存→労働→人生>という先入観に囚われているかもしれない。

「自分の人生を生きる」=働くこと、ではないことはわかる(いいかえれば、「自分の人生を生きる」>働くこと)。なぜなら、働くことも働かないこともできる潜在的な力(潜勢力)があれば、必ずしも働くことを経由しなくても、「自分の人生を生きる」は可能だ。すなわち、「働かないでいるほうがいい」という意志決定を自覚的にして「しないほうがいいのですが…」を反復して生活することも可能だ。

だとしたら、生物的生存を担保しつつ働かないこと(非-労働、非-職業)は「あり」ではないか?

それに、働かないことは、生活に創造性を取り戻すためのひとつの契機とさえなり得るだろう。

問題はむしろ、“働く-働かない”と自分の人生を“生きる-生きない”の間(不確定性)にある[猫]
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向上 [就労支援]

見習う=人のするのを見て覚えたりまねしたりする。(講談社類語大辞典)

誰でも知っていることば。でも、それをできる人、またはそうしようとしている人は、実際には少ない。なぜなら、「誰を」と「どう」を知っている人が少ないからだ。

「誰を」=仕事のできる人。一番、仕事のできる人=社長。でなければ部門長。あるいは先輩。

「どう」=単に何をしているのか、何をはなしているかを見てまねするのではない。
     どうしてそういうことができるのか、お客さんに喜んでもらえるのはなぜかなど色々を考える。

黄昏流星群 (4) (ビッグコミックス)『黄昏流星群』第4巻に「星のレストラン」という話がある。

そこに、若い料理人がすでに引退したおじいさん(実は超一流料理人)の料理を食べるシーンがある。

食べた瞬間、涙がこぼれる。次の瞬間「ちくしょう!!何て素晴らしいんだ!何でこんな絶妙な味が表現できるんだ!!」と泣きじゃくる。

これは料理の世界の話だ。しかし、他の仕事も同じではないか。仕事をするからには、少しでも仕事ができるようになってやろうという意欲、積極性、向上心がないとうまくいかない。また、逆をいえば向上心がある人だけが見習うということをやっている。つまり、どうしたら社長のように、部門長のように、先輩のようになれるんだと思ってやっている。それがあってはじめて、前を向いていける。前向きさとはそういうことではないか[猫]あなたには、そういう社長、部門長、先輩がいますか?
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実習 [就労支援]

『人は見た目が9割』(新潮新書)のP160~161【相性のつくり方】より…
何たる偶然」というゲームがある。このゲームは人間の相性を考えるのにとても役に立つ。(略…相性には)先ず2つの条件を考える。一つは「類似性」。もう一つは「相補性」である。(略)さて、「何たる偶然」とはどんなゲームか。二人に対座してもらい、片方が相手に質問し、お互いの共通点を十個探すのである。で、共通点が見つかると、二人同時に「何たる偶然!」と叫ぶ。十個見つける頃には、二人の心理的距離は相当縮まっている。(略)大変そうだが、十個の共通的は数分で見つかる。(略)実は相性というものは、ある種の思い込みだったりするわけだから、このように意識的に共通点を見つけだすことで、かなり好転するのである。
実際にここでやってみよう。設定は、あるイベントの打ち上げ。同じ職場のひともいるが、半分以上が初対面である。私の席の隣には、入社1年目の高山さんという女性が座っている。初対面である。

最初は、ビールをついでもらったり、飲み物をついであげたりしている。で、タイミングをみて、さっそく作戦開始だ。

盛田「高山さんって、富山県出身ですか?」
高山「はい、富山県の西の方です。」
盛田「私も西です。何たる偶然!」①
盛田「血液型は何型ですか?」
高山「A型です。」
盛田「私もです。何たる偶然」②
盛田「何月生まれですか?」
高山「7月生まれです。」
盛田「何たる偶然」③
盛田「大学は何学部ですか?」
高山「経済学部です。」
盛田「私もです。何たる偶然」④
盛田「ご兄弟は?」
高山「兄がひとりいます。」
盛田「私もです。何たる偶然」⑤
盛田「好きな食べ物は?」
高山「麺類です。」
盛田「お~、私もです。何たる偶然」⑥
盛田「趣味はなんですか?」
高山「スポーツ観戦です。」
盛田「私もです。何たる偶然」⑦
盛田「どんなスポーツをよく見ますか?」
高山「サッカーです。」
盛田「「私もです。何たる偶然」⑧
盛田「今までの日本代表の監督の中で誰が一番好きですか?」
高山「オシムです。」
盛田「私もです。何たる偶然」⑨
盛田「みたい映画とかありますか?」
高山「中村勘太郎主演の『禅』です。」
盛田「私もです。何たる偶然!今度、一緒に行きませんか?」⑩
高山「いや、遠慮します。
盛田「何たる悲惨!」

とまあ、こんな感じでしょうか(泣き笑)[猫]でも、使えると思う
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前髪 [就労支援]

12月14日のブログに、「私は経験上、「ひとは就労意欲が高まると床屋へ行く。また、床屋へ行くと就労意欲が高まる」ことを知っている。」と書いた。

『人は見た目が9割』(新潮新書)のP62~63に次の文章があった。

日本では江戸時代までは、男も女も額を出していた。髪型が簡素になったのは、明治以降である。女性には、前髪を垂らす少女の髪型が出てきた。人間は、前髪を垂らすと、3~4歳は若く見えるといわれる。(中略)髪型は恋愛観とくっついてくる。あるいは、仕事観ともセットになる。(中略)1970年代から、男も前髪を垂らすようになった。ビートルズが流行らせた長髪の影響である。「りりしさ」が減って「優しさ」が増えている。反社会性とセットになって定着した「男の前髪」だが、「社会に出るのが嫌だ」というモラトリアム意識と考えればわかりやすい。

髪型=仕事観。
前髪を垂らす=自分を子供っぽく、あるいは若く見せたい。
額をきちんと見せる=りりしさ

つまり、床屋へ行く=額をきちんと見せる。額をきちんと見せる=社会にでる[猫]である。
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22年 [就労支援]

22年度新規学卒の女子学生への提言

大学3年、短大・専門学校1年の女子学生の皆さん、いよいよ就職活動の突入ですね。もしかして、今、あなたは「経理事務」の仕事を志望していませんか?

それは、なぜ「経理事務」なのでしょうか?

もし、内勤でかつ人と接する機会が少ないからという理由であるならば止めた方がいいと思います。なぜらば、それは“逃げ”だからです。あなたは、まだ若い。若いうちに、楽しようと思わないこと。むしろ、迷ったときは、困難な方を選ぶ方が良いと思います。つまり、最初に逃げたら、そのあとは追いかけられるだけで結局は辛いものになってしまうからです。

今、「経理事務」は非常に狭き門です。なぜならば、希望者が多いからです。そのうえ、この不況で企業の間接部門はリストラの対象の射程内に入っています。あとひとつは、コンピュータ技術の進歩によって、「経理事務」自体、省力化されています。だから、よっぽどの人(日商簿記2級程度はあたり前、だからそれよりの先のスキル)でない限り、いらないポジションなのです。

それを承知で、「経理事務」で就職活動をするなら、それはそれでいいです。しかし、そこは競争倍率30倍です。30人に1人が採用される世界です。その採用枠に入る自信がありますか? ないのなら、「経理事務」は、あくまでも一つの選択肢として、それ以外の職種を考える方が賢明でしょ。

たとえば、「経理事務」以外に、「営業事務」「営業」「SE関係」「介護福祉」など‥。それぞれの職種においても「経理事務」の知識は実はあるに越したことがないスキルです。たとえば「営業」をするにしても、経理(簿記)がわかっている人とそうでない人では差がでます。また、「介護福祉」の業界にも、「経理事務」という職種はあるんです。むしろ、一般企業よりも経理とか役所との調整の仕事が大変なんです。だから、業界だけで職種を判断してはいけません。

これから、半年くらいが勝負です。それを迎えるときに、選択肢を狭めて戦うのか、選択肢を広げて戦うのか。どうしますか?

私は、仕事に就く、社会に出る、職業人生を始めるというのを第一に優先するのならば、自信をもって後者の戦略をお薦めいたしします[猫]
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飯場 [就労支援]

昨日につづき、『反貧困』(湯浅誠著 2008年4月発行)からの引用…

<P149>
「日雇い労働者を集め、『飯場(はんば)』と呼ばれる寄宿舎に寝泊りさせ、そこから工事現場に派遣して、建設現場の肉体作業をさせる。(中略)わずかな賃金の中から寮費・食費を差し引くところ、あえて待機期間を作って賃金と寮費・食費が相殺されるように仕組むところ(たとえば賃金8千円で寮費・食費を3千円とり、3日に1日しか働かせなければ、15日の間に5日働いても…8千円×5日=4万円。3千円×15日=4万5千円。4万円ー4万5千円=△5千円で…会社に5千円の借金を背負う)、さらには周囲に売店などがないのをいいことに、タバコやお酒を割高の価格で売りつけられるところなどがあった。」(引用おわり)

これを“飯場システム”いい、古くからあるという。特に、借金を背負うと危険だ。どのくらいの金利なのかわからないが、良いようにされると借金が雪だるま式に一気に増える、恐ろしいシステムだ。

実は、私は25歳ころ日雇い労働をしていた。東京・荻窪に4畳半(共同トイレ、そば屋の2階)のアパートを借りていた。離職中、水道橋だったか、飯田橋かの日雇い労働を仲介する場所に通った。そこは、朝早く行かないと、いい仕事がなくなってしまう。だから、中央線の始発(午前5時前後だったかなぁ)に乗る。着くと、狭い部屋はすでに人でギュウギュウ詰め状態。正面で仕事のセリが始まり、仲介人がその日の仕事内容と日給を叫ぶ。良いと思ったら、すぐ手を挙げる。決まれば3~5人くらいのグループになり、簡単な説明をうけ、現場へ向かう。現場では、担当者から指示を受け仕事をする。終われば、仕事先で現金の入りの封筒を受けとり、現地解散というシステムだった。

それを半年くらい続けた。このシステムは、同じ日雇い労働でも、“飯場システム”よりはおおらかだ。また、今思えば、経済はバブル期で好況だった。だからだろうか、そこに通うひとたちもいつか日雇い労働から這い上がれるだろうという楽観的な見通しがあった。世論も、今より日雇い労働というものに寛容だった。つまり、日雇い労働=不安定就労=悪、という短絡的な考え方はなかったように思う。

今思うと、懐かしい。しかし、そこから、私は<私の働き方>を模索し始めたんだなぁ…と思う[猫]
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手伝 [就労支援]

昨日に引き続き、『変わる家族 変わる食卓』から…

<P101>
「手伝いの強要や強制は、自分も子どものときにイヤだったから子どもにもしない」(39歳)と言うのが、いまや一般的である。

<P102>
昔のように「親が忙しくて、子どもの手伝いがないと家業がまわらない」ような必然的な状況でもあれば、子どもを叱ってでも一定のことをできるように仕立て上げなければならなかっただろうが、現在多くの家庭にそのような状況はない。

以上のように、現在の家庭では子どもの“お手伝い”はなされていない。なされていても、子どもがやりたがるときにさせるものとなっている。

私のようなものは、当然家庭でお手伝いをしているものと思っていた。しかし、そうではない。なんのせ、子どもがお手伝いをする必要がないんだから。これは、しょうがない。それだけ、生活が豊かになったということなのだろうか???

ちなみに、我が家は半年ほど前、食洗器を買った。これにより後片づけが非常に楽になった。しかし、子どもの“お手伝い”という貴重な体験機会を失ってしまった。使い始めの頃は、「これでいいのか」という強い葛藤があった。しかし、今では「便利だもの」で落ち着いている。人間って奴はホントに…弱い生き物だな(泣)[猫]オレだけ?
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床屋 [就労支援]

今日、床屋へ行った。3800円だった。以前、1575円の床屋へ行った。しかし、カタコトの日本語のひとに毛髪を切られるのは怖かった。なので、結局もとの店へ(高いけど)行っている。

実は、床屋と就労の関係を考えている“とこや”った。

どういうことかというと、私は経験上、「ひとは就労意欲が高まると床屋へ行く。また、床屋へ行くと就労意欲が高まる」ことを知っている。

床屋は「あたまのかたち」を整えるところである。この「あたまのかたち」を整えようという気持ちの動きそのものが、こころを整える、禅的にいえば、すでに「調心」をしていることになる。かつ、それを成し遂げると「さっぱりした気持ちよさ」を感じる。これは禅的にいえば「さとり」である。言い換えれば、煩悩や渇愛(過度な欲望)がない状態である。

そういうときに、“ひとは仕事に就く”のである。

しかし、働いていないひとにとって、3800円は大金である。

子どもを就職させようと思ったら、私なら、3800円を入れた封筒に「散髪代」と書いて(「安いお店じゃだめよ」と但書き。3800円と1575円の差額2225円が大事だから…)置いておく。

こう考えていくと、「無料整髪券(10回分)」をハローワークが発行するというはどうか? 
親にも無心できない若者たちが床屋に行ける。

それだけではない、床屋がひとつの就労支援の場となる。床屋は地域に密着したコミュニティビジネスだ。床屋にキャリアカウンセラーを常駐させれば地域での就労も可能になる[猫]それはないよな!
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占有 [就労支援]

私は“ニート”“ひきこもり”といういい方が好きじゃなくて、「働きたくても働けないひと」といってきた。

しかし、よくみていると現実は、そのいい方のなかにも2類型あるように思うようになった。

なんでもいいから、とにかく働きたい
条件が揃っていれば、働きたい

支援側としては、①の方が支援しやすく、②は難しい。なぜならば、②のなかには、働く上での社会のルール(職業観)を間違って身につけているひとが少なくないからである。

すなわち、社会とは本来「利益をみんなで分かち合い、リスクはみんなで補い合う」がルールであるが、それを「自分の利益の追求を最優先し、自分の努力の成果は自分が独占してよい」というルールを固持して、譲らないひとが②にいる。

もっとも、「自分の利益の追求が最優先され、自分の努力の成果は自分が独占してよい」というルールが実在しないわけではない。ただそれが適用されるのは、例外的な状況だけに許される特例だ。例えば、障害や病気だったり、なんらかの事情など…がそうである。

それゆえ、その特例が認められなければ、自分の利益を最優先してはならないし、自分の努力を独占してもいけない[猫]と考えます。
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体験 [就労支援]

就業支援の手段に職業体験がある。それを目的別に分類してみた。

①居場所型……職場に居るだけ。自分の存在を認める。介護(富山型ディケアサービスがよい)。
②お手伝い型…単純作業。例えばお店のトイレ掃除から開店準備、後片づけ、簡単な対面接客。
③体力向上型…農業や立ち仕事。1日8時間×5日間を続ける身体能力、気持ちを涵養する。
④弟子入り型…昔でいう丁稚奉公。師匠がいて、仕事を基礎から仕込まれる。将来そこで働く。
⑤実践形式型…クライアント(依頼者)がいて、その要望に応じた成果物を納期までに納める。
⑥起業支援型…メンター(支援者)がいて、仮説→行動→検証→相談・報告を体験者自らで行う。

ふつうは、体験者の希望で体験先を決めている。しかし、そうではなくて、上記の①~⑥のような目的別で職業体験を設計していく方が有効ではないかと最近思う。

なぜなら、この目的別職業体験方式だと、就労までの段階が大体わかる。与えられた階段をただ一歩一歩上っていけばいいのだ。

体験先も含む支援者サイドは、体験をクリアできたか、体験者が体験の前後でどう変わったか、次のステップは何かに注意を払う。それを体験者にフィードバックする。そうすることで、体験者自身が次に何をすればいいかが自然とわかる(ということが起こる)。

今までの職業体験では、体験後の感想で、この仕事は“好き(嫌い)”や“興味・関心あり(なし)”が体験者の口から出てくるくらいだ。で、「じゃあ次どうすんの?」という空気が支援者側と体験者との間になくもなかった(つまり、ある)。

ほんとは、もっと職業体験を細分化できると思うが、今のところではこんな感じっす[猫]
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年末 [就労支援]

求職中のみなさんへ

今年も残すところあとわずかです。気持ちをしっかりもって就職活動にのぞみ来年につなげましょう。ということで、富山県内、今年最後、過去最大の合同企業説明会のお知らせどぇ~す[猫]

元気とやま!合同企業説明会   参加企業200社(予定)

日時:2008年12月28日(日)12:30~14:00(受付12:00~)

会場:富山市総合体育館  主催:富山県  <参加無料・申込不要>

対象:新卒、既卒、中途、Uターン、Iターン、在職者、転職、再就職、不問(つまり、どなたでもよい)

詳細:http://www.youngjob-tym.jp/guidance/index_0.html

200社かぁ~。こりぁ多いわ…。今まで120社程度はあったけど…。しかも、厳しいこの時期に…[猫]

あっ、そうそう、ちなみに私、当日<就職相談コーナー>におります[手(チョキ)]よろしく。
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安住 [就労支援]

ひとりでは生きられないのも芸のうちP49より
「引きこもりやニートがいるのも、最終的には“健康で文化的な最低限度の生活を営む”保障があるということを彼らが知っているからである。」

私は若者の就労支援の仕事をしているから、ときどき「なぜ、引きこもりやニートはいるのですか?」と、“そもそも”を問われることがある。そのときは、「簡単ですよ」といって、上記の内田樹先生の答えを、今は代用している。

つまり、現在の日本は豊かで安全で福祉の充実した(貧しくなく、危険もなく、仮に万が一のことがあっても公的支援でなんとかやっていける)社会だから。そして、その事実にある特異な出来事を通して当事者が気づいてしまったから…、と答えている。

ただし、それと引きこもりやニートの善い・悪いとは別。別々の話。
しかも、当事者やその家族はその状況にあぐらをかいているわけではありません。念のため[猫]
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地域 [就労支援]

「ひきこもり・ニート」といわれるひとたちが、就労へ向かうとき、その共通項として“地域”が絡んでいる、と最近感じる。それが、どんな“地域”か、どんな関わりかは、はっきりしないけれど…。

じゃあ、“地域”って何だろう。

「個人の原子化」が進んだ社会に“地域”は実在するのか?
実在するとしたら、どんなことでつながっているのだろうか? どんな関係なのだろうか?
実在しないとしたら、われわれが“地域”といっているのは何だろうか?
もしかしたら、“知(りあいの領)域”を“地域”といっているのだろうか?

などと、ふと考えながら…以下、ご案内どぇ~す[猫]

若者の自立を地域で支援するセミナー
「不登校・ひきこもり・ニートからの脱出」

主催:富山県若者自立支援ネットワーク会議

日時:平成21年1月23日(金)13:30~16:30

場所:サンフォルテホール

定員:200名(先着順) 入場料:無料

内容:明橋大二先生と加藤愛理子先生のそれぞれの講演と対談

詳細:http://www.youngjob-tym.jp/saposute/index.html 
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講演 [就労支援]

「ニート・引きこもりの現状と脱却-心理的背景と対応-」と題した講演会があります。

主催(および問い合わせ)は、NPO法人教育研究所宇奈月寮です。

日時は、12月21日(日)午後1時15分~4時40分。
会場は、富山県民会館613号室

講師は、臨床心理士と宇奈月寮寮長のお二方です。ともに、経験豊富な方です。

定員は、30名(先着順)。個別説明会も合わせて行われます。

お知らせまで[猫]
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略歴 [就労支援]

昨日、JCDA(日本キャリア開発協会)の研修を受けた。

テーマは「キャリアのコア・スキルの抽出」。このテーマはひと言で言えば、“略歴作成”支援。他に、「キャリアインベストリーシートのヒアリング」とか「職務経歴書の書き方」、あるいは「キャリアの棚卸しの仕方」とよばれるところだ。要は、いかに採用担当者に読ませる文章を作るかである。

採用側は「見せられるたびに嫌になる」「全部よんでも本人が何をしたいのかわからない」ものは読みたくない。一般的に履歴書はあるが、採用担当者から社内に流通するのは履歴書ではない。むしろ経歴などが書いてある“一枚のレジュメ”である。だから、本当に必要な情報をこの“一枚のレジュメ”にすべて集約せねばならない。なぜならば、それが採用側の手間が省くからである。逆に、手間をかけるのであればない方がよい。

この“一枚のレジュメ”に書式はない。どうに書くか決まっていない。書き方は自由。

ちなみに、今回の講師のそれは作文形式だ。しかも、1200字(フルタイプ)、600字、250字の3パターンある。<略歴>というタイトルで、A4用紙一枚の紙に横書きで連綿と綴られている。これには、正直、驚いた。しかし、伝えるべき情報にヌケがなく、本人の特徴がわかる文章になっている。

このような<略歴の文章化>の作業は、キャリアカウンセラーの大切な仕事である。
なぜならば、本人だけでは無理だからだ。

では、いかにして…。

カウンセラーは何をどう質問するか
①動詞にかかわって、主語を明確にした上で5W1Hで訊いていく(映像が浮かぶくらいまで…)
②本人の行為や工夫を訊く(本人の思い出しのヒントの誘発と頭のなかの整理の援助)
③転用できるスキルかどうかカウンセラーが判断する(売りになる部分と職業能力を生かせる分野)
④スキル間のつながり(「あのときの○○が…」)や要約、確認(「間違いないでしょうか」)をする
⑤スキルを対外的/対内的に区分をする
⑥他にないか(キャリアがないことはない…旅行、余暇、勉強、趣味、家の手伝い等からも…)

限られた時間で最大限、情報データを訊きとるテクニック
①気持ち、苦労、実績や成果の認識(事実のとらえ方)は訊かない(これはインテークのときに聴く)
②仕事内容、業界の特徴、職場環境もできれば訊かない(行為についてのデータを数多くとるため)
③具体的に訊くのに見当つけて訊く(「それはA4で2~3枚?」「年に5回程度?」「ひとりで?」)
④名詞で表現しているが、動詞化してみる(「人脈というが、どういうふうに維持したんですか?」)
⑤質問に対する答えにズレがあったら、1回でやめて次の質問にチェンジする

略歴のドラフト(下書き)のチェック
①本人の気持ちはどうか=本人らしいか=本人に違和感がないかどうか
②採用側はどうみるか=ニーズに合っているか=キーワードは書いてあるか

今回の講師は香本先生。時間は10時~1時、2時~5時半の6時間半。費用は1万5千円。場所は金沢(自宅から高速道路を使ってジャスト1時間)。参加者は25名(おそらく富山と石川で半々くらいか?)。とても、貴重な機会となった[猫]
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理系 [就労支援]

求人票には、「正社員」「パート」以外に「派遣」「契約」「請負」等の色々な働き方が明記されている。正社員と派遣だけでも、実質は以下ような区分があり、また曖昧なところもある。

① 正社員(期間の定めのない雇用=無期雇用)
② 正社員(無期雇用ではあるが、受注先によって勤務地が変わる)
③ 常用型派遣(派遣会社の正社員。長期雇用。派遣先がないときでも給与は保証される)
④ 常用型派遣(同上。だたし、実質は1年以上雇用の見込みのある社員。常用の4割程度)
⑤ 登録型派遣(仕事のある期間だけ雇用期間を結ぶ。数ヶ月~3年程度の有期雇用)

富山のある社長によれば「IT関連の仕事は、最近はセキュリティなどの問題で、東京ですること多くなった」と言う。東京など首都圏で、ある期間泊まり込み仕事をするらしい。IT関連で活躍するひとの多くは理系出身の技術者である。ちなみに、最近は技術者だけでなく、研究者の派遣もあるらしい。

これは、経営合理化の論理としては正しい働かせ方である。しかし、働く側はどうも納得できないようだ。理系のひとのなかには、この“経済合理性”を理解できないひとが少なくない。つまり、「これだけ仕事したのに、なぜ…」と悩み、自分の気持ちに折り合いをつけることができないひともいる。

一昔であれば、技術者、研究者は安定した会社に勤め、一目おかれる存在だ。
しかし今はどうか? 理系の働き方って今どうなってるのか?
[猫]ちなみに、私は理系はさっぱりダメです。
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希望 [就労支援]

希望のニート 現場からのメッセージ『希望のニート』の著者であり、NPO法人ニュースタート事務局代表二神能基氏が「たけしの日本教育白書2008」(フジテレビ系列)に出演するそうです。

11月22日(土)午後7時~11時40分までの生放送(長いなぁ~)。

そして、あのレンタルお姉さんも、ついに出演…。

巷には、二神氏の爆弾“発言”予告(「日本の若者をひきこもり・ニートにしているのは、××××だ!」)が流れています。ぜひ、お見逃しなく[猫]
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井戸 [就労支援]

今日の午後、“農林漁業ビジネス経営塾”に参加してきました。この事業は、国の施策で、(株)パソナが受託し、県内有志で実施しています。昨年度から始まり、5年間継続事業です。

主に、一次産業(農業、漁業、林業)を対象としたセミナーや個別指導が目的です。なので、農家や農業法人の方が参加されていました。私は若年者の就労の可能性という興味で参加しました。

最初ということもあって、この“塾”のコンセプトが二人の論者によって語られていたように思います。

①一次産業は経済行為と捉えてはならない。単に経済合理性を追求すればいいわけではない。
②「千練観徳」。働き手そのものになりきっている人は美しい。仕事に愛着をもつ者同志のつながり。
③「井の中の蛙大海を知らず。されど空の高さ知る」でいこう。
④しかし、経営意識は必要。

<③の補足>
井戸の中の蛙は狭い井戸の中だけが世界のすべてなので、見識が狭く世間知らずかもしれない。しかし、たとえ棲んでいる場所は狭くとも井戸の口からは深遠なる空はうかがえる。だから、外界との接触点が小さくてもただひたすらにそこに思いを馳せ続ければ深慮に達する、という意味なのだ[猫]
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北陸 [就労支援]

こんなサイトみつけました。いいけど、ちょっと作り込みすぎかも…。
http://www.hokuriku-imageup.org/hokuriku-gurashi/
ちなみに、そこには求人情報もありますよ[猫]
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予期 [就労支援]

身体を通して時代を読む (木星叢書)まだ、半分読んだだけだけど…、『身体を通して時代を読む』から抜粋。

P31(甲野)
「武術の場合、予測をさせない動きというのは、相手から見てすごく単純でありながら避けられない攻撃ということになるわけです。」

P131(内田)
「『相手に追わせる』ということを武術的な身体運用の要諦であるということを甲野先生は言っておられますけれど、それは武術的な次元にとどまらず、人間関係一般に妥当することだというのがラカンを読むとよくわかる。何とかこの人の言うことを理解したい、何とかこの人に追いつきたいと思ったら『負け』なんです。」

P168(内田)
「…予期された動きはどれほど速くても強くても、咎められて、効果を発揮できないからです。そのためにはたとえコンマ何秒でもいいから、こちらが先を取って、相手がその動きを『追う』という関係に持ち込むということが必要になります。」

つまり、①予期させないこと②相手に追わせるという関係に持ち込むこと。この二つが肝要なようだ。

[猫]禅の「追わず、払わず」の“追わず”の部分に通底すると思ふ。(ちと、意味不明?)
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