安住 [就労支援]
P49より
「引きこもりやニートがいるのも、最終的には“健康で文化的な最低限度の生活を営む”保障があるということを彼らが知っているからである。」
私は若者の就労支援の仕事をしているから、ときどき「なぜ、引きこもりやニートはいるのですか?」と、“そもそも”を問われることがある。そのときは、「簡単ですよ」といって、上記の内田樹先生の答えを、今は代用している。
つまり、現在の日本は豊かで安全で福祉の充実した(貧しくなく、危険もなく、仮に万が一のことがあっても公的支援でなんとかやっていける)社会だから。そして、その事実にある特異な出来事を通して当事者が気づいてしまったから…、と答えている。
ただし、それと引きこもりやニートの善い・悪いとは別。別々の話。
しかも、当事者やその家族はその状況にあぐらをかいているわけではありません。念のため
「引きこもりやニートがいるのも、最終的には“健康で文化的な最低限度の生活を営む”保障があるということを彼らが知っているからである。」
私は若者の就労支援の仕事をしているから、ときどき「なぜ、引きこもりやニートはいるのですか?」と、“そもそも”を問われることがある。そのときは、「簡単ですよ」といって、上記の内田樹先生の答えを、今は代用している。
つまり、現在の日本は豊かで安全で福祉の充実した(貧しくなく、危険もなく、仮に万が一のことがあっても公的支援でなんとかやっていける)社会だから。そして、その事実にある特異な出来事を通して当事者が気づいてしまったから…、と答えている。
ただし、それと引きこもりやニートの善い・悪いとは別。別々の話。
しかも、当事者やその家族はその状況にあぐらをかいているわけではありません。念のため
取りあえず、
働く理由=〔食べる〕+〔やりがい〕と考えてみる。
貧しい社会では、〔食べる〕 ≧ 〔やりがい〕
豊かな社会では、〔食べる〕 ≦ 〔やりがい〕
となる。
ここまでは納得できるでしょうか?
〔食べる〕は動物的であり、 〔やりがい〕は人間的である。
これはどう?
ニートの若者は前者のレベルでは自足しているわけであるが、後者のレベルでは大きくて深い不満を抱えている。これをどうやって突き破るかが問題だ。
キーワードは努力である。
努力とは毎日の積み重ねである。それは習慣の力である。ある種の忍耐である。忍耐とは希望を持つための技術である(ヴォーブナルグ)。
で、何を言いたいかというと、これは単なる精神論ではなくて、身体論かもしれないし、人間関係論かもしれない。
つまり、体を動かせばやる気が自然に生まれてくる、他人に突き動かされることでやる気が生まれてくる、という面が大きいのではないか、とうことです。
by 名古屋の虎 (2008-12-05 09:19)
すばらしいサジェスチョンありがとうございます。
忍耐とは希望を持つための技術である。
他人に突き動かされて忍耐を身につける。
そのことで、希望とやる気が生まれてくる。
確かに…そうだ! 忍耐ノムコウニ希望がある。
by myjob (2008-12-07 20:08)