我執 [好きなもの]
昨夜、坐禅をしてきた。これで4回目になる。いつもと同じように、調身、調息、調心の順にただ座る。だが、よかった。
今回は、住職の話を聞けた。図解をすると次のようになる。
自分 自我
---------------
△
自然の分身 我執
このようにバランスがとれているいる状態がよい。しかし、我執、つまり自分でコントロールできないほど強く我を通す心にとらわれるとバランスが崩れてしまう。つまり、自我=我執が上になる(すなわち、自分=自然の分身が下)。そして、うまくいかないとさらに上へ、上へと傾いていく。しかし、そういうときは実は下に原因があるという。すなわち、自然の分身である自分を見失っているという。
私は、今回の話を聞きながら、その日偶々うまくいかないことがあったがそれが他人やシステムの問題だとばかり考えていたが、どうも自分自身に謙虚さや感謝する気持ちがなかったためではないかと気づいた。少し、高慢、有能感、思い上がっていた。それは、ひとりの人間としてもそうだし、カウンセラーとしてもそう。感謝の気持ちをもち、カウンセラーの基本である「傾聴」を心がけようと思った。
このように、住職は坐禅の効能を説明してくれた。また、我執がある程度を越えてしまったひとはもうどうしようもないともいわれた。つまり、人間は2~3歳くらいにはすでに我というものがあるが一線を越えた人は自己中心的な考え方が身についてしまって(住職には)どうしようもできないといわれた。
う~む…(無言)
今回は、住職の話を聞けた。図解をすると次のようになる。
自分 自我
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△
自然の分身 我執
このようにバランスがとれているいる状態がよい。しかし、我執、つまり自分でコントロールできないほど強く我を通す心にとらわれるとバランスが崩れてしまう。つまり、自我=我執が上になる(すなわち、自分=自然の分身が下)。そして、うまくいかないとさらに上へ、上へと傾いていく。しかし、そういうときは実は下に原因があるという。すなわち、自然の分身である自分を見失っているという。
私は、今回の話を聞きながら、その日偶々うまくいかないことがあったがそれが他人やシステムの問題だとばかり考えていたが、どうも自分自身に謙虚さや感謝する気持ちがなかったためではないかと気づいた。少し、高慢、有能感、思い上がっていた。それは、ひとりの人間としてもそうだし、カウンセラーとしてもそう。感謝の気持ちをもち、カウンセラーの基本である「傾聴」を心がけようと思った。
このように、住職は坐禅の効能を説明してくれた。また、我執がある程度を越えてしまったひとはもうどうしようもないともいわれた。つまり、人間は2~3歳くらいにはすでに我というものがあるが一線を越えた人は自己中心的な考え方が身についてしまって(住職には)どうしようもできないといわれた。
う~む…(無言)
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