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下手 [読書した履歴]

『バカの壁』(養老孟司著)を読み終える。さすが、約450万部(約100刷)発行だけのことはある。今みると、約200ページの小さな本に8つの黄色い付箋がついている。そのひとつひとつをもう一度じっくり読み直したい気持ちだ。

今回は、その付箋のひとつ、ソシュールの「シニフィアンとシニフィエ」について言及した部分を改めて考えてみる。ソシュールは、言語学のみならず他の学問や思想潮流へ影響を与えた構造主義の創始者のひとりといわれている。

しかし、わたくし、実は、この「シニフィアンとシニフィエ」がよくわからない。

文字にしろ、発話にしろ、それには2つの側面がある。ひとつは表現方法、もうひとつは意味内容。そして、前者をシニフィアンとよび、後者をシニフィエとよぶと私は理解していた。

たとえば、横断歩道の道路標識。青と白で三角山の下四角が表現方法で歩道と歩行者が意味内容。つまり、シニフィアンが“ゆっくり安全に”という感じ、シニフィエが“歩行者優先通路”という場所を伝えていると思っていた。

そう考えると、看板以外にも、服装や髪型、話し方、車や建築、CMや音楽…まで、いろいろなものが「シニフィアンとシニフィエ」で分解できる。つくる側は、それを意図的に駆使する。そういうものかと思っていた。

しかし、養老先生のそれはこうだった。
同じ人間が同じ言葉を同じように発音したつもりでも、インクの乗り同様、やはりどこかが違うのです。しかし、我々はそれを同じリンゴとして、全員が了解している。私の知る限り、この問題を最初に議論したのがプラトンです。彼は何と言ったかというと、リンゴという言葉が包括している、すべてのリンゴの性質を備えた完全無欠なリンゴがある。それをリンゴの「イデア」と呼ぶのだ、と。(略)それは、まさに我々が意識の中で、全てを同一のものだと認識することが出来るゆえに起こる現象なのです。(P72~73)
まず、プラトンからはじめ、イデア=同一性といい…
外の世界のリンゴは、それぞれ特定のリンゴ以外あり得ない。ところが、頭の中のリンゴは、プラトンの言うイデアとしてのリンゴです。(P75)
頭の外と中で区別する。外は全部違う。中はひとつ。そこで…
言語学の中でそれを指摘したのが、ソシュールのシニフィアンとシニフィエという概念です。ソシュールによると「言葉が意味しているもの」(シニフィアン)と、「言葉によって意味されるもの」(シニフィエ)、という風にそれぞれが説明されています。(略)これまでの説明の流れでいえば、「意味しているもの」は頭の中のリンゴで、「意味されるもの」は本当に机の上にあるリンゴだと考えればよい。(P76)
つまり、頭の中=シニフィアンで、頭の外=シニフィエ、であると。なるほど、これならわかりやすい。

さらに、シニフィアン>シニフィエが今の世の中だと警告する。「下手の考え休むに似たり」。余計なことを考えるよりも、ぼ~っとしている方が私はいいと思う。だから、シニフィアン<シニフィエの方が平和だと思う。たぶん、それは養老先生も同じ意見だと思う[猫]
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名古屋の虎

私も1年ほど前この本をブックオフで買いましたよ。ブログにもこんな事を書いていました。

+++++++++++++++++++++++
ブックオフで『バカの壁』(養老孟司、新潮新書)を買った。入り口近くに平積みしてあって100円で売ってた。
 
 本の途中にV・E・フランクルが出てきて驚いた。まさかこの本の中にこの人が出てくるとは思わなかった。

理想の共同体について述べているところで、養老は次のようなことをいう。

 かつての日本には、「誰もが食うに困らない社会をつくろう」というような理想があって、その理想を実現するためにみんなが力を合わせた。はっきりした御旗があったわけで、それにみんなが集中した。そこには確かな共同体が存在した。
 しかし、「誰もが食うに困らない社会」が実現してしまった今、「次にどういう社会をめざしていったらいいのか」がみんなよく分からない。理想の形がなくなったともいえるし、みんなバラバラの理想を持っているともいえる。いずれにせよ、人々が集まるような御旗がなくなったわけで、共同体の凝集力は非常に弱くなってしまった。

 こういう背景を語った上で養老は次のようにいう。
 
 

・・・・人間にとって共通の何らかの方向性は存在しているのではないでしょうか。
 私は、一つのヒントとなるのは「人生には意味がある」という考え方だと思っています。アウシュビッツの強制収容所に収容されていた経験を持つV・E・フランクルという心理学者がいます。(中略)
 ・・・彼は、一貫して「人生の意味」について論じていました。そして、「「意味は外部にある」と言っている。「自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。 
 

少しあとの頁で養老は、「食うに困らない社会をつくる」に続く共通テーマとして、環境問題を挙げ、環境のために自分は共同体に、周りの人に何ができるのか、ということも人生の意味だと述べている。

by 名古屋の虎 (2009-01-21 09:49) 

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