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宮崎駿の「深み」へ (平凡社新書)こんな本を買いました。
『宮崎駿の「深み」へ』(村瀬学著 2004年10月 平凡社)

この本の狙いはいくつかある。そのうちのひとつ…
「子どもたちはアニメを見て過ごしてきているのですが、それは何をしていることなのか、それは「思考していない状態」「お馬鹿なことをしている状態」なのかどうか、そのことを宮崎さんの作品を通してちゃんと問いたいと思っていたからです。」(P244 あとがきより)

こどもたちは、アニメが大好きである。たとえば、「ポケモン」がテレビで入っていると、目を止めてじっと見入っている。女の子であれば、「しゅごキャラ」やら「めちゃモテ委員長」やら…、なんやらを食い入るように見ている。そういうわたしも、こどものころにはアニメにお世話になったものである。

しかし、大人になるとそう見れるものではない。なぜだろう。不思議である。そのへんも、この本を読めばわかるのだろう。

われわれは、アニメのなかに、自身の代表像(身体や運動のイメージ)や社会の規範(善悪や勝ち負けなど)などを見ている。また、さまざまな主人公の立場や意志に、自分を置き入れて楽しんでいる。

しかし、こどもと大人ではどうも違うようだ。

こどもは、それらを<配列>として見ている。心的な構成としては、<指示-規定>が<自己-確定>より優位な状態である。つまり、決められたもの、規則的に並べられたものを丸暗記するように見ているような感じである。

一方、おとなは、こどもとは逆に<指示-規定>より<自己-確定>が優位な状態である。つまり、<みかけの構成>と<還元の構成>を区別しており、<還元の構成>優位で見ている。すなわち、大人は「いくら変形しても同一でありつづける構成」の方を見ている。

こどもがアニメを見ると、そのかっこよさやかわいらしさを見ている。一方、大人は、パターン(同一性)をみてしまう。かつ、そのパターンを引いて、離してみてしまうところがある。また、その話の筋がワンパターンであったり、先が読めたりすると、もお、面白くなくなりなったりする。

結局、<変形同一性>の感じ方の差が、こどもと大人のアニメの見方の差ではないだろうか。
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