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ちいき [読書した履歴]

働くことを学ぶ (若者の希望と社会)こんな本を買いました。

『働くことを学ぶ』
(全国進路指導研究会編 2006年8月 明石書店)

“運動”っぽい。どことなく懐かしい感じがする文章が並ぶ本である。
“運動”っぽいつ~のは、カール・マルクスっぽいっていうことである。

マルクスの時代、労働は規制し、学ぶ権利や機会を守るものだった。
それがなぜかいま、労働は教育現場で学ぶことになろうとしている。

「もっと勉強しておけばよかった」とわたしの父はわたしにこぼしていた。
そうすれば、ブルーカラーワーカーではなくホワイトカラーになれたから。
父の時代は、勉強したくてもできなかった。仕事をしていたからである。

今の時代は、仕事をしたくてもできない。仕事が少ないからである。
正社員の椅子はさらに少なくなる。椅子取りゲームの始まりである。
だから、あきらめの早いひとは勉強を放棄し、学びから逃走し始める。

しかし、勉強というものは仕事のためだけにするものなのか。
仕事がないなら、仕事以外の勉強をすればいいではないか。
せっかくの時間、学校の外で勉強をする機会と捉えれないか。

本書は、公教育の役割を次のように指摘している。
雇用をきわめて不安定なものにし、また「働くこと」を、つらい〈苦役〉に落とし込んでいるのが、利潤第一主義の新自由主義の路線を突っ走る大企業と現在の政府であることは、ここでいうまでもありません。(中略)しかし、憲法自体がその第12条で示すように、「権利」とは、「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」ものですから、若者の働く場を確保し、生きる道を切りひらくことについて、現在の「国民」自身が、それを政治的に実現していくことに、広くちからを集めるほかはありません。そのことが、いま切実に求められています。(中略)若者は、すでに「働く権利」の主体者であり、生涯にわたってそれを豊かに行使していくことこそ、人生の中心課題なのですから、公教育の学校は、それが実現できるようなちからを、すべての子ども・若者にあらかじめ身につけさせる責任があります。さらに、少なくともそのちからの土台となる部分は、義務教育が培っておかなければなりません。(P198-199)
これはキャリア教育ではなく、むしろ政治教育だがそういうことを学んでも面白い。

ただし、教育基本法第14条に「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。(2)法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」とある。つまり、学校では教養として尊重はするが、学校内での実践はNG。つまり、政治教育は学校の外でしかできない。

政治教育に限らず、学校の外、仕事の外で学ぶことは多いはずである。しかし、それを受け止める集団・組織が少ない。ひと昔は、それは地域や組合だった。いまそれらは、あんまし機能してない。

言い換えれば、いわゆる社会教育が機能してない。したがって、広義のキャリア教育というものは、学校外、会社外の活動であって、本来社会教育という分野が担うべきではないか。だとすると、もしかしたらキャリア教育は学校で教職員が教えることではないかもしれない。わかんないけど…。
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