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いあん [読書した履歴]

13歳は二度あるか (だいわ文庫)こんな本を買いました。

『13歳は二度あるか 』
(吉本隆明著 2012年8月 大和書房)

本書は昨年の8月15日に文庫本として発行された。
著者は、昨年3月に逝去された。享年87歳。
逝去されて半年後、終戦67年目に発行された。

日本が戦争を始めたのは、著者が13歳のとき。
タイトルの13歳は、著者の戦争体験とも重なるが、
『13歳は二度あるか』は、「若いからいいではないか」
という風潮に、「否」という思いが込められている。

13歳は二度ない。

本書は、次のような書き出しから始まる。
自分は将来、どんな仕事につきたいのか。そのためには、どんな学校へ行って何を勉強すればいいのか---。そんなことを考え始めるのが、だいたい13歳くらいなのではないかと思います。

本書は、全部で5つの章からなる。

第一章は、「新聞を読む、時代をつかむ。」
第二章は、「社会と関わる、自分を生きる。」

わたしは、第一章を「社会理解」。第二章を「自己理解」だと捉えて読んだ。

第一章では、“自分と社会との関わりを大づかみにすること”を薦めている。
それには、新聞を読むこと。新聞は、大勢が共有している情報が書いてある。
それを素材として、「自分なりの判断をしていけばいい」と著者はいう。

いいかえれば、「専門的な深い知識や普通の人の知らない裏情報はいらない」
ということである。なぜならば、あらゆる人に公開されている情報を総合して、
取捨選択して、社会のすがたを把握する力を養うことの方が大切だからである。

要するに、普通の情報で対局的に社会の流れをつかんでおけばいいということだ。

第二章は、自分で自分をどう捉えたらいいかということが書いてある。それは、
①個人としての個人
②社会的な個人
③家族の一員としての個人
この三つの次元で一生懸命に考える。そして、深く、考え抜き、続けることだ、という。

この三つの次元に分けて考えるという方法は、わたしにとっては新鮮な方法だ。
例えば、「私は頑張っている」というひとがいるとする。たぶん、周りは迷惑する。
みんなが休んでいるときにわざわざ自分だけ働くようなタイプのひとは迷惑だ。

そういうひとは、①の「個人としての個人」と②の「社会的な個人」をごっちゃに
している。つまり、職場は仕事の場。自分の役割だけを果たしていればいい場。
そこに、「自分はいいやつだ」という個人的な評価を得たいという気持ちもある。

②は、あくまでも役割を果たす自分。それに対して①は取り替えのきかない自分。
社会の中の役割と一人の人間としての生活は別のもの。だから、仕事ができなく
ても、人間としての価値が傷つくわけではない。若いときに二つを峻別する癖をつける。

①②に対し、③の「家族の一員としての個人」は、①と②の中間にある理念である。
家族は、エロス的な結びつきからなる社会。少なくとも、父-母-僕からなる社会。
子どもが、少年少女が、社会と関わっていくときに経由していく場、社会に出る準備だ。

①②③は、次元が違うから何か問題が起こったときの解決の仕方も違ってくる。
ごちゃまぜにしないで、それぞれ別個に考える。①なら個人だけで解決すること。
親であっても、本人以外が首をつっこんでしまうと間違ってしまうことになる。

本書は、最初の二つの章以外にも、吉本ワールドが満載である。

特に、第四章の「犯罪と死について、考えてみる」のなかの
「いじめも自殺も、親に傷つけられた経験が引き起こしている。」のなかの
“心が傷ついている子どもというのは、自分で自分を尊重することができません”
の一文に、息を呑んだ。わたしも、そう思うからである。

そして、そこからフーコーの『自己への配慮』を引き合いに出す。
著者は、フーコーをマルクス以降の画期的な思想家として評価している。
著者は、心が傷ついているひとは、「自己慰安」の手段をもつといいという。

著者にとっての「自己慰安」は、文章を書くことだったという。
最初は、日記とか、詩のようなものだったという。
書くことによって、自分の心がなぐさめられることがわかったという。

「自己慰安」、ストレスケア、気分転換、リラクゼーションは、
今や、ひとつの大事なテーマなのである。
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