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現代若者の問題について② [ひとりごと]

今の時代、20歳代や今後10年間出てくる未来の青年にとっては、次の二つのどちらかに態度を決定しなければならないように思う。

①就職戦術的タイプ→就職→お勤め(40年間の競争社会)+プライベート→リタイアメント
②型破戦術的タイプ→自分の好きなこと、得意なこと、やりたいことへの投資→自主、独立

これは、30代後半以上のひとには、そんな態度の決定など現在も必要としないばかりではなく、自分の過去の20代にもそういう必要はなかった。つまり、時代がこれだけ進んできているのだ。それが1990年頃から顕著になったということだ。

しかしこれは、年の区別でもなく、世代や時代の区別でもなくて、現代社会がもつ二つの社会側面、現在社会が示す社会の二つの姿、の区別だといわざるを得ない。つまり、今、現代社会は二つに割れている。

というのは、青年の生活条件とそれ以上の生活条件との距離が、普通ならばほぼ一定していて、ある時間が経てば青年がそれ以上の年代になれるのを、今は一定していないのである。例えば親子を例としてみる。親爺は親爺として歩いていき、息子は息子として歩いていくので、息子は親爺の生活の梯子を後から登っていくわけではない。それと同じである。

そうして、両者の生活条件の間の距離は段々と大きくなる。で、この通り、青年とそれ以上の区別は、年とか世代とか時代とかという時間的な区別ではなくて、一つの社会の空間的な二つの方向といったような区別になっている。

したがって、青年は次の時代のひとや新しい時代のひとではない。それ故に今では、少なくとも日本では、自然的な意味における青年なるものは無いといってもいいし、あるとしてもそういう観念には当てはまらないといった方がいいだろう。そういう意味では、もう今では青年はいないと考えた方がいい。

青年が次の時代のひとや新しい時代のひとであると考えることは、青年より旧い時代のひとが、青年に対して相対的に譲歩していくということに他ならない。ところが、今の青年より旧い時代のひとは、青年に対して決して譲歩などはしない。あくまで踏みとどまろうとする。なるほど、より旧い時代のひとは刻々と老いていく。だが、それにもかかわらず踏みとどまる。今の時代、青年とは旧い時代のひとの後継ぎでは決してないのだ。


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