日本社会では働くことで幸せでない人が増えていないか? [読書した履歴]
『「ひきこもり」だった僕から』上田和樹著(講談社)2001.12.13からの抜粋
P227
「スタンダードな<公>の職業倫理をクリアするだけ、というのは、それ自体として自分の自己保身しか考えていない「公私混同」なのです。自分の身ひとつを危機に晒す、そのリスクを全面的に引き受ける覚悟だけが、本当の意味での<公>を生きることであり、真の意味での<職業倫理>ではないでしょうか。」
スタンダードな<公>は<公>ではない。むしろ、スタンダードな<公>は<私>である。だから、スタンダードな<公>は本当の意味での<公>ではない。職業における本当の意味での<公>は、自分の全リスクを覚悟して生きることである。いいかえれば、どこまで自分のことを自分の文脈において「当事者」として自覚できるかであると著者はいう。
公(おおやけ)とは、個人的なことであったり、秘密のことであったりするのではなく、社会全体にかかわる様子(類語大辞典講談社)である。しかし、この著者のいう<公>は一般的なそれとは違う。区別の基準が一段上にある。
本当の意味での<公>を知った「当事者」は他が見えない現実が見える。だから、それに怯える。世の中には知らない方が幸せだっていうことがあると仮定してみる。「当事者」は知らなくてもいいことを知った。だから、幸せではなくなった。
ここ最近働くことで幸せではない人が増えている。しかも、この問いの答えはまだ誰ももっていない。
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