経験 [カウンセリング理論]
『共に待つ心たち―登校拒否・ひきこもりを語る』(高垣忠一郎著)P243より
「体験」は語られない限り、私秘的な「体験」にとどまります。
それがことばとなり、筋をつけて語られるとき、「経験」になるのです。
そして、「経験」は人と共有され、相互に承認し合えます。
「体験」は物語ることで共有できる「経験」になるのです。
本書は、「学校に行こうとしていけない」登校拒否・不登校の子どものこころを考察しています。本書は、「体験」と「経験」を峻別しています。その差異は、「体験」と「経験」の間に<ことば→物語→共有→相互承認>が挿入されていることです。「経験」には、<互いの内面を率直に表現→確かめ合い→支持しあう関係>が成立しています。
いいかえれば、「体験」はひとり。「経験」は二人以上。「経験」は共に生きる心を育む核です。また、その「経験」が支えとなりさらに生きる力が生まれます。小学校のときは母親や父親、中高校のときは友だち、社会にでたら同僚とか…。もしかしたら、異性との“ひと夏の「経験」”もあったり…。
「経験」は、つまり「楽しかったあ」「がんばったな」「しんどかったな」「ダメだったな」「大変だったな」という互いのこころを共にすること。この「経験」の積み上げは生きる力をどんどんどんどん強くする
「体験」は語られない限り、私秘的な「体験」にとどまります。
それがことばとなり、筋をつけて語られるとき、「経験」になるのです。
そして、「経験」は人と共有され、相互に承認し合えます。
「体験」は物語ることで共有できる「経験」になるのです。
本書は、「学校に行こうとしていけない」登校拒否・不登校の子どものこころを考察しています。本書は、「体験」と「経験」を峻別しています。その差異は、「体験」と「経験」の間に<ことば→物語→共有→相互承認>が挿入されていることです。「経験」には、<互いの内面を率直に表現→確かめ合い→支持しあう関係>が成立しています。
いいかえれば、「体験」はひとり。「経験」は二人以上。「経験」は共に生きる心を育む核です。また、その「経験」が支えとなりさらに生きる力が生まれます。小学校のときは母親や父親、中高校のときは友だち、社会にでたら同僚とか…。もしかしたら、異性との“ひと夏の「経験」”もあったり…。
「経験」は、つまり「楽しかったあ」「がんばったな」「しんどかったな」「ダメだったな」「大変だったな」という互いのこころを共にすること。この「経験」の積み上げは生きる力をどんどんどんどん強くする
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