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国民 [ひとりごと]

またまた、ひきつづき、『反貧困』(湯浅誠著 2008年4月発行)からの引用…

<P204>
「政界財は『企業成長なくして、国民生活の安定・向上なし』と言う。しかし、実際この十数年で起こったことは『国民生活の安定・向上』を切り崩すことによる、企業のバブル後遺症からの回復だった。」

バブル崩壊の90年頃から20年、確かに会社経営は厳しい。経営者は社員を守ることより、身内(一族・同族)を守ることで会社を死守した。私はそれ自体決して批判はしない。経営者も人間だもん…。

ただ、『企業成長なくして、国民生活の安定・向上なし』という論理自体、どうなんだろう?

国や自治体が『企業成長なくして、国民生活の安定・向上なし』という論理に従うのはどうだろう?

<もし、企業の成長がなかったら、国民の生活は安定しないし、かつ向上もしない>が真ならば…
その対偶の<国民の生活が安定、または向上するとき、企業の成長がある>も論理的に真である。

しかし、<国民生活を切り崩した(低下させた)ことで、企業の成長がした>のが事実ならば、『企業成長なくして、国民生活の安定・向上なし』というのは論理的には真かもしれないが、「結局、企業だけが得して、国民は損した」ことにならないのか。

いや、もっと根本的な問題は行政に所在する。それは、行政が『企業成長なくして、国民生活の安定・向上なし』を鵜呑みにしていることだ。

先日、私は、ある地方自治体の職業能力開発の部署を訪ねた。そこは「職業訓練」を管轄している。そこでいう「職業訓練」とは、メカトロニクスや自動車整備、金属加工、造園、配管、木材加工、情報処理などの専門的な技能訓練をいう。基礎訓練は「職業訓練」とはいわない。あくまでも社会に直接、役に立つ技能を習得又は高めることが「職業訓練」であり、それが定義である、という。

「ほんとかいな」と思った。「はたして、今の時代で…」。高度成長期、60年代後半~80年代前半ならわかる。このような「職業訓練」の定義を「職業訓練」としてみなして事業を行っているのは如何なものか。疑問だ。腑に落ちない。その部屋だけが、高度成長期の匂いがした。また、それに必要以上にしがみついている部署の頑なさを感じた。担当部署は、気づいてジレンマを抱えていると思う。「もっと柔軟に発想して起案してくれよ」、と言いたい。

実は、この事業は地元企業にはとってもとってもありがたいのである。なにせ、新入社員研修をしなくてもいいから。その分、企業の間接経費は削減される。

また、いわゆる“公共職業能力開発”は、確かに受講者にとってもありがたい。授業料タダで、技能を高め、就職まで保証されるわけだから。しかし、今は専門工より、多能工が求められている。だから、ひとつの技能を高めるのは行政ではなく、企業が自社の負担ですべきことではないか。それゆえ、この「職業訓練」事業で一番恩恵を受けているのは企業だ。そこには、『企業成長なくして、国民生活の安定・向上なし』という偽りの論理が透けてみえる。それは担当部署の方々も薄々(なんかおかしいなぁ…と)感じている(はずだ)。

もう止めにしようっと[猫]言ってもいいことないから。
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コメント 2

名古屋の虎

寒くなってきました。

どれが湯浅さんの文章で、どれが代表の文章かが分かりません。引用部分は少し下げるというような機能があると思います。

よろしくお願いします。


by 名古屋の虎 (2008-12-24 16:31) 

myjob


冷えますね~。ご指摘ありがとうございます。以後、気をつけます。

なお、この記事に関しては、引用文は下記の部分(のみ)。あとは、私の文です。

よろしくお願いします。

<P204>
「政界財は『企業成長なくして、国民生活の安定・向上なし』と言う。しかし、実際この十数年で起こったことは『国民生活の安定・向上』を切り崩すことによる、企業のバブル後遺症からの回復だった。」

by myjob (2008-12-24 17:46) 

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