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街並 [起業支援]

今日は、午後から「街並み記憶を伝える会(現:とやまを描く会)」の会合にでかける。場所は越州という喫茶店(小部屋がありよくお見合いに使われるらしい)。事務局や画家さんら全7名が集まった。

そもそも「街並み記憶を伝える会」は今から5年前から始まった。ただ3年限定のプロジェクト事業だった。富山市中心部が再開発事業で様変わりしていくときで、そこに住むギャラリーのオーナーがなんとかこの風景を残しておきたいとの一念で私に声がかかった。

そして、「絵を描いて」消えゆく街並みを残すことにした。今は、もう前の街並みはすっかりなくなり、新しい小綺麗なビルやお店に変わっている。しかし、当時の街並みは、プロの画家らの手で描かれたキャンバスとわれわれの記憶のなかに残っている。

われわれは再開発が完了するところで活動も終了のつもりだった。しかし、それで終わらなかった。

その3年間、とにかくいろんな企画を立てては実行したがほとんどがうまくいったとはいえなかった。しかし、唯一“スケッチ教室”だけは盛り上がった。それは県内で活躍するプロの画家十数名と参加者(美術愛好家をはじめ、しばらく絵をかいてないひとなど…)が一緒に画板を持ち歩き、画家の指導を受けながら場所を決め水彩画を仕上げるというものである。さらに、その日描いた絵は未完成であっても、いったん会場に持ち帰り、1枚1枚プロの画家の批評を受けるという内容である。

そのときの会場の異様な熱気は今でもおぼえている。参加者の真剣な姿勢と淡々とした画家の講評のコントラストが面白かった。昔、TVで欽ちゃんが司会していた“スター誕生”のような雰囲気だ。

それが4年目、5年目も続いた。今では会員が約100名だという。そうなると会費収入で運営できる。だから、6年目からは約款を決めたり、会計もしっかりしたものにしていこうということになった。

私も大賛成。こうなるとは予想もしていなかった。しかし、こういうふうに続いていってくれればいいなあと夢のように考えていた。だから、誠に嬉しい。

あらためて、この事業が軌道にのったの要因を考えてみた…
①“スケッチ教室”というプログラムが広く受け入れられたこと
②まちなかにギャラリーという気軽に立ち寄れる“場”があったこと
③参加者が比較的時間とお金に余裕があるひとたちだったこと
④最初の3年くらいまでオーナーが先行投資を手当していたこと

まだ他にもいろいろと要因はあるが、他の事業に応用可能なノウハウは主にこの4つだと思う。

ただ、①に当たるまでは徒労の連続だった。もともと計画していたプログラムではない。だから、事業というのは予想外・計画外に展開していくものなんだなぁとつくづく感じる。それは思いつきと勢いだけかもしれない。しかし、これによって自主事業が成立した。

したがって、自主事業というものは、あらかじめ計画されるよりも、とにかくやるだけやって、ダメならまたやって、それでもまたやって…、という前のめりの行動のなかから、ポコッと生まれるようなものかもしれないのかなぁと思った[猫]
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