実感 [キャリア教育]
不自由を楽しむ
今日、あそあそ自然学校の小学生向けのワークショップに参加した。場所は、富山市内から1時間ほど山に入ったところ、平地より気温が5度くらい低いだろうか。そこで、探検~食事(豚汁)~ランニング、ときどき雪合戦などをして、湯神子温泉で暖まり、解散だった。
最初、大人は自分に名前をつける。子どもに覚えられやすいようにするためだ。ちなみに、私は「うぉ~り~」。そして、その名前で自己紹介。ここでキャラをつくる。そのキャラで終始子どもと接する。
面白かった。その理由を考えてみた。それは「不自由」だったから。「不自由の楽しさ」を味わえたことが面白かった。
例えば、ご飯。これは火を炊いてお釜に具を入れてつくる。ところが、火力が充分でない。むしろ、なにもしないと弱くなっていく。だから、力を合わせて火が弱くならないように守り、竹筒で空気を入れて強くする。その間、どんどんお腹が空いてくる。そのとき、できることは何か。我慢することである。「早くしろ!」なんて誰も言えない。できるまで、待たなくてはいけない。
(普段、如何に待たずにご飯を食べているかに気づく)
寒さ。じっとしていると暖房が恋しくなる。しかし、うちに入ってストーブにあたることはできない。選択肢が思い浮かばない。この状態を不自由という。寒さにただ耐えるだけか…。その瞬間、私は“あ~楽しい”となぜか感じた。ただ耐えるだけ…。そういう不便さが心地よかった。
(普段、如何に寒さを簡単にしのいでいるかに気づく)
だが、寒さを堪え忍ぶには無理があったので走り出した。険しい坂道の上の一本杉まで駆け上がる。まるで、プロ野球選手の自主トレのようだ。つらい、息が上がる。しかし、一本杉にタッチしたときに達成感を感じた。そして、その頃にはからだは温まっていた。
(ただ、耐えるだけではなくそこから何かをしてその寒さを回避する能力があることに気づく)
以上、空腹、寒さ、辛さに耐えることは苦痛だが、それを感じることは生きていることを感じること、生きていることを感じることは楽しいこと。そう思える能力が人間にはあるのではないか。
今回のワークショップは日常生活とは違う状況に身をおくことで「不自由さのなかの楽しさ」を感じた。それが面白かった
今日、あそあそ自然学校の小学生向けのワークショップに参加した。場所は、富山市内から1時間ほど山に入ったところ、平地より気温が5度くらい低いだろうか。そこで、探検~食事(豚汁)~ランニング、ときどき雪合戦などをして、湯神子温泉で暖まり、解散だった。
最初、大人は自分に名前をつける。子どもに覚えられやすいようにするためだ。ちなみに、私は「うぉ~り~」。そして、その名前で自己紹介。ここでキャラをつくる。そのキャラで終始子どもと接する。
面白かった。その理由を考えてみた。それは「不自由」だったから。「不自由の楽しさ」を味わえたことが面白かった。
例えば、ご飯。これは火を炊いてお釜に具を入れてつくる。ところが、火力が充分でない。むしろ、なにもしないと弱くなっていく。だから、力を合わせて火が弱くならないように守り、竹筒で空気を入れて強くする。その間、どんどんお腹が空いてくる。そのとき、できることは何か。我慢することである。「早くしろ!」なんて誰も言えない。できるまで、待たなくてはいけない。
(普段、如何に待たずにご飯を食べているかに気づく)
寒さ。じっとしていると暖房が恋しくなる。しかし、うちに入ってストーブにあたることはできない。選択肢が思い浮かばない。この状態を不自由という。寒さにただ耐えるだけか…。その瞬間、私は“あ~楽しい”となぜか感じた。ただ耐えるだけ…。そういう不便さが心地よかった。
(普段、如何に寒さを簡単にしのいでいるかに気づく)
だが、寒さを堪え忍ぶには無理があったので走り出した。険しい坂道の上の一本杉まで駆け上がる。まるで、プロ野球選手の自主トレのようだ。つらい、息が上がる。しかし、一本杉にタッチしたときに達成感を感じた。そして、その頃にはからだは温まっていた。
(ただ、耐えるだけではなくそこから何かをしてその寒さを回避する能力があることに気づく)
以上、空腹、寒さ、辛さに耐えることは苦痛だが、それを感じることは生きていることを感じること、生きていることを感じることは楽しいこと。そう思える能力が人間にはあるのではないか。
今回のワークショップは日常生活とは違う状況に身をおくことで「不自由さのなかの楽しさ」を感じた。それが面白かった
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