裏表 [発達障害のこと]
再び、現代のエスプリ12月号 『【内なる目】としてのメタ認知』
-自閉症児の“場のよみ”にはいかなるメタ認知が働いているか(P142~151)-を読んで思ふ。
“面食らうほど正直”、“まったくずるいところがない”ひとほど、うまく働けない。それは、ひととひととの間で生きていく上での、裏と表の使い分けの困難さの障害だと私は思う。
では、「他者の裏をかく」とはどういうことか? あるいは、「嘘をつく」や「騙す」とはどういうことか?
それは、他者に思わせたい内容を、あるふりをして、自分が思わせたい方向へふるまうことである。言い換えれば、他者の意図を推測して表象を調整する活動である。
具体的には①本当と違うことを伝える②本当なのに違うことを伝えるの2つを駆使して演じることだ。これは、机上よりは身体上のスキルが必要である。つまり、身体知といわれるものである。
また、机上では自分自身が埋め込まれていないので自分のふるまいを調整する必要がない。しかし、日常の文脈では自分自身が埋め込まれているために自分のふるまいを調整する必要がある。
社会に適応できるということは、他者や状況に合わせて自分の身体の動きを調整できることである。しかし、そこにタイミングのズレが生じる。その修正は身体レベルの動きの共同性を鍛えることだ。
その方法として、《トイレットペーパーデリバリー》や《名役者は誰だゲーム》が有効らしい。
ちなみに、「とんねるずの食わず嫌い王」などはとてもよい訓練方法だと私は思う。なぜなら、大好きなものを嫌いなもの、嫌いなものを大好きなように演じながら食べたり、その裏をかいて、好きなものを好きなもの、嫌いなものを嫌いもののように演じながら食べたりして他者を騙す遊びだからである。
そこには他者の心理状態を知る、自分がどのように相手に映るかを知るなどの他者性や内向きではなく外に開かれた状況や場の流れをよむ働きが求められる。
【おまけ】社会に出ると「嘘」と「冗談」と「皮肉」の概念とそれぞれを区別できる力が求められるヨ
-自閉症児の“場のよみ”にはいかなるメタ認知が働いているか(P142~151)-を読んで思ふ。
“面食らうほど正直”、“まったくずるいところがない”ひとほど、うまく働けない。それは、ひととひととの間で生きていく上での、裏と表の使い分けの困難さの障害だと私は思う。
では、「他者の裏をかく」とはどういうことか? あるいは、「嘘をつく」や「騙す」とはどういうことか?
それは、他者に思わせたい内容を、あるふりをして、自分が思わせたい方向へふるまうことである。言い換えれば、他者の意図を推測して表象を調整する活動である。
具体的には①本当と違うことを伝える②本当なのに違うことを伝えるの2つを駆使して演じることだ。これは、机上よりは身体上のスキルが必要である。つまり、身体知といわれるものである。
また、机上では自分自身が埋め込まれていないので自分のふるまいを調整する必要がない。しかし、日常の文脈では自分自身が埋め込まれているために自分のふるまいを調整する必要がある。
社会に適応できるということは、他者や状況に合わせて自分の身体の動きを調整できることである。しかし、そこにタイミングのズレが生じる。その修正は身体レベルの動きの共同性を鍛えることだ。
その方法として、《トイレットペーパーデリバリー》や《名役者は誰だゲーム》が有効らしい。
ちなみに、「とんねるずの食わず嫌い王」などはとてもよい訓練方法だと私は思う。なぜなら、大好きなものを嫌いなもの、嫌いなものを大好きなように演じながら食べたり、その裏をかいて、好きなものを好きなもの、嫌いなものを嫌いもののように演じながら食べたりして他者を騙す遊びだからである。
そこには他者の心理状態を知る、自分がどのように相手に映るかを知るなどの他者性や内向きではなく外に開かれた状況や場の流れをよむ働きが求められる。
【おまけ】社会に出ると「嘘」と「冗談」と「皮肉」の概念とそれぞれを区別できる力が求められるヨ
2009-01-18 09:32
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