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『週刊金曜日』(738号)広瀬純氏コラム【生の最小回路①】“『蟹工船』よりも『バートルビー』を”より
働かないことからしか「自分の人生を生きる」ことは始まらないのではないか。(P38)
これは“職を失ったときに誰しもがふと心の奥底で思う密やかな問いかもしれない”と広瀬氏はいう。

短編小説『バートルビー』とは、バートルビーという人物があるときから、職場の上司の命令に「しないほうがいいのですが…」と繰り返すようになり、解雇され、最終的には食事すら「しないほうがいいのですが…」といってのけ、餓死してしまう話らしい。

しかし、これは「自分の人生を生きる」ことを肯定するがゆえに、生物的生存を否定してはいないか。そうではなくて、まず生物的生存を肯定し、次に「自分の人生を生きる」のがあたり前ではないか…。

いや、そうではなく、われわれは<生存→労働→人生>という先入観に囚われているかもしれない。

「自分の人生を生きる」=働くこと、ではないことはわかる(いいかえれば、「自分の人生を生きる」>働くこと)。なぜなら、働くことも働かないこともできる潜在的な力(潜勢力)があれば、必ずしも働くことを経由しなくても、「自分の人生を生きる」は可能だ。すなわち、「働かないでいるほうがいい」という意志決定を自覚的にして「しないほうがいいのですが…」を反復して生活することも可能だ。

だとしたら、生物的生存を担保しつつ働かないこと(非-労働、非-職業)は「あり」ではないか?

それに、働かないことは、生活に創造性を取り戻すためのひとつの契機とさえなり得るだろう。

問題はむしろ、“働く-働かない”と自分の人生を“生きる-生きない”の間(不確定性)にある[猫]
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コメント 1

名古屋の虎

働かないことからしか「自分の人生を生きる」ことは始まらないのではないか。(P38)

Y電工を辞めるときの心境がまさにこれだったような気がする。

A:働くこと=単なるお金を稼ぐ手段

B:働くこと=人様の役に立つことで自分の存在価値を確認することができ、なおかつ感謝の対価としてお金を受け取ること

AからBへと発想を変えることが大事だと思う。

は生きることの一部分である。

by 名古屋の虎 (2009-03-09 09:09) 

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