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大人 [読書した履歴]

なぜ大人になれないのか―「狼になる」ことと「人間になる」こと (新書y)こんな本を買いました。
『なぜ大人になれないのか』(村瀬学著 2000年9月 洋泉社)

“問い”を“問い直す”ことがいかに大切かをこの本で学んだような気がする。たとえば、「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ売春をしてはいけないのか」は、問い方がおかしいと著者はいう。

“問い”があればそれに“答える”のがあたりまえ、と思っているが、必ずしもそうではないのだ。なかには、“問い”が問いとして体をなしていない場合がある、ということをこの本を読むと身にしみて感じる。特に、意外な、しかし重要な問いにこそ、“問い直す”ことが大切な問いがまぎれているような気がする。

では、この本のタイトル「なぜ大人になれないのか」という“問い”はどうなのか。それは本著を読んでいただければわかるであろう(…それでは、あんまり…だ。だから、わたしなりに…)。

著者はここでも、“問い”を“問い直す”。つまり、「大人になれない」という言い方で現在、言われてきたことの中身は何なのか? それは「大人になる」ことがむずかしいんだ、ということだ。じゃあ、「大人になる」って何なんだ? 

「大人になる」ってことは、「狼になる」ことだ。これは著者の独特の表現だ。つまり、大人として生きていくことは、いったん「つながりゼロ」の状態からある共同体に属することである。そして、その共同体のひとりとして生きていくことである。なお、共同体には共同体の世界があり、かつその共同体の外には別の世界がある。

したがって、所属する共同体のなかでは「人」でも、外の共同体からみれば「狼」である。そういう不可避の関係性のなかに身をおくことが「大人になる」ということである。逆にいえば、すべての共同体からみて「人」であるという身元・身柄は「大人になる」(=「狼になる」)ということではない。

さて、これで「大人になる」という説明ができた。しかし、それがなぜむずかしいのか。その説明ができていない。では、なぜむずかしいのか? これを説明するのに、著者は「狼になる」ではなく、今度は「外国人」になるという表現を使う。つまり、「大人になる」とは「つながりゼロ」から「外国人」として異国の国に出立することとイコールである、という。

そうすると、「大人になる」むずかしさは、「外国人」が「日本人」として生きることのむずかしさと同じである。つまりそれは、文化を「認め合う」むずかしさだ。したがって、さきほどの共同体ということでいえば、同じ共同体に属しながら同じ国の人として認められない、ということが現在起こっているということである。これが「日本人」同士で起こっているということである。もっといえば、「人」として向き合わない、「人でない」ものとして向き合っていることがあるということなのである。そういう、むずかしさである(…う~ん、ほんとかな~。わかっているつもりが、書いているうちに、よくわかっていないことがわかった。あとは、本著をあたってほしい)。

そこでわたしの抱えている“問い”だ。「なぜ働かなければいけないのか」「なぜ仕事をしなければいけないのか」。この“問い”はどうなのだろう。これは、キャリアカウンセラーや就労支援をしている人なら一度くらいは抱く“問い”であろう。

実は、わたしはこの“問い”に答えられない。また、この“問い”をまともに“問い直す”ことをしたことがない。ただし、本著のP222の「「大人になる」ことの問題を発達論や成長論としてではなく「外国人問題」として考えようとしたところである(下線部=わたし)」の<発達論や成長論としてではなく>というフレーズに“問い直す”手がかりがありそうだ。だから、そこから“問い直し”てみたい。
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