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とどく [読書した履歴]

子どもは判ってくれない (文春文庫)こんな本を買いました。
『子どもは判ってくれない』(内田樹著 2006年6月 文春文庫)

先日、立ち読みしていたら、「教養喪失と江口寿史現象」という文が目に飛び込んできた。びっくりした。わたしは、漫画家江口寿史の大ファンである。世に出ている江口氏の漫画はすべて見ているはずである。その江口氏の名が、目次にあった。しかも、第一章第一節、つまり、本の冒頭に、である。その本が、この本である。

衝動買い、いやそれよりももっと早い、瞬間買いした。江口氏を、内田氏が評する。こんなご馳走(なんだか品のない喩えだが)は、めったにない。んで、読んだ。まあまあ、面白かった。いや相当面白かった。あまりに期待が高すぎて、まあまあ、である。それにしても、もうすぐ還暦の大人がよく読んでいる。おそらく、江口氏の作品はすべて読んでいるのではないだろうか。なぜならば、引用が、「こんなところまで…」というところからだから。そこに感心させられた。

本書には、もうひとついいところがある。それは、橋本治氏の解説である。わたしは、実は内田氏の本をどう読んでいいのか戸惑っていた。本を読むのは、文字を読めば、本を読むことである。しかし、そうでもない。読む側に構えがないとどう消化していいかわからない。内田氏の著作は、読み方がわからない。でも、橋本氏の解説を読んでわかった。

どうも、内田氏は“正しいかどうか”ではなく、“届くかどうか”がテーマなようだ。言い換えれば、「腑に落ちる」のであれば、それが正しいかどうかはあまり重要でない、ということである。そのあたりは、武道的とか、身体>頭とかの部分で、うまく呑み込めるかどうかである。そして、この溜飲感が内田氏の魅力である。

あと、内田氏の著作はなんだか音楽のアルバムを聴いているようだ。いい曲もあれば、そうではない曲もある。わたしとしては、ベストアルバムだけを読みたい。または、原論っぽいものを読みたい。しかし、そうではない。あえてそうしている気がする。なぜなら、そのスタイルが、その手捌きが、その扱いが、ひとつのコンテンツだから。つまり、なにかまとまった言説や体系があってそれを伝えるというのではなく、ライブ感をもって伝える、ということだから。

これまで内田氏の本を買うのをできるだけ控えてきた。しかし、買ってしまった。悔しい。これから雪崩式に買わなければいいが…。「内田樹にご用心!」。そう自分に語りかけている自分がいる。
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