支援とはなにか [就労支援]
仕事柄「支援」という言葉をよく口にする。でもこの言葉がしっくりこない。それはなぜか。NPO法人地域生活支援ネットワークサロンの日置真世氏が「支援」という言葉について次のように書いている。
「従来「支援」という表現にはする側とされる側という対極的な関係性の行為がイメージされるため、別の言葉を使う方がふさわしいと思うが、まだ見つかっていないため「支援」と表現する」(『ともに生きともに育つひきこもり支援』山本耕平.P43)。
この違和感は、する/されるが潜んでいるからだ。一方が支援を施す、他方が支援を受けるになるからだ。
私にそんなつもりはない。私は<したい>からする。相手もなんとか<したい>からする。どちらも《する》である。「支援」をあえて定義すれば、「ともに<やりたい>ことをする」なのである。したがって、ひきこもり支援は「ともに<やりたい>ことをすることで<やりたい>自分をつくること」と定義できる。
するは能動態、されるは受動態である。だが、能動態でもなく受動態でもない態がある。それを中動態という(詳しくは國分功一郎『中動態の世界』参照)。能動/受動からは何も生まれない。そろそろその二項対立から抜け出さないといけない。中動態からはじめよう!
「従来「支援」という表現にはする側とされる側という対極的な関係性の行為がイメージされるため、別の言葉を使う方がふさわしいと思うが、まだ見つかっていないため「支援」と表現する」(『ともに生きともに育つひきこもり支援』山本耕平.P43)。
この違和感は、する/されるが潜んでいるからだ。一方が支援を施す、他方が支援を受けるになるからだ。
私にそんなつもりはない。私は<したい>からする。相手もなんとか<したい>からする。どちらも《する》である。「支援」をあえて定義すれば、「ともに<やりたい>ことをする」なのである。したがって、ひきこもり支援は「ともに<やりたい>ことをすることで<やりたい>自分をつくること」と定義できる。
するは能動態、されるは受動態である。だが、能動態でもなく受動態でもない態がある。それを中動態という(詳しくは國分功一郎『中動態の世界』参照)。能動/受動からは何も生まれない。そろそろその二項対立から抜け出さないといけない。中動態からはじめよう!
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