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ロジャーズの不適応理論 [カウンセリング理論]

氏原寛『カウンセリングの心』P88より

「ロジャーズによれば、生まれて間もない赤ん坊でさえ、自分にとって好ましい経験はこれを求め、好ましくない経験はこれを避けようとする、という。こうした見分けの働きは、有機体的評価の過程とよばれており、…(中略)」

「…赤ん坊の諸経験の中から自己経験が分化されてくる。ロジャーズは、ある経験がどうして自分のものと見なされてくるのかについてはなお未解決の問題が多いけれども、多分それが自分のコントロールの範囲内になるか否かによってきまってくるにではないか、と述べている。」

「さらにこれとほぼ平行して、肯定的配慮の要求が芽生えてくる。(中略)この要求が上述の有機体的評価の過程とはやや異質のものであり、かつ社会道徳や諸価値のとり入れにきわめて重要な役割を果たしているように思われる。」

ここでは次の三つの概念が紹介されている。整理してみよう。

①有機体的評価の過程=好き・嫌の見分け 
②自己経験=コントロール可能範囲内経験 
③肯定的配慮の要求=愛されたい気持ち

そして、それらは発達のプロセスとして

③の満足+②と結びつく。ならば、②を積極的に要求するようになる。

逆に、③の不満足。ならば、②を避ける。しかも、それは①と一致しない。

「…この時、実は子どもの中に、最初の自己疎外-自発性の喪失-という現象が生じているのである。子どもは、自分の中に起こっている自然な感情の流れを信じることができない。自分の感じに従い、自分の判断で行動することは、しばしば母親の期待と一致せず、それは愛情の拒否につながっている。そこで子どもは、自分の行動を決めるのに、何らかの自分以外の規準によらざるをえなくなる。こうして子どもはよいお兄ちゃんになることはできるかもしれないが、同時に心の中に今現に生じている一つのプロセスが抹殺される。子どもは、内側から自発的に動き出すというよりも、外側から操作されるロボットのような存在に落ちていくのである。」

なんとも恐ろしいことではないか。働きたくても働きたくない人のなかには、このような現象が生じているように見える人がいる。もとは、乳幼児期の愛されたい気持ちが満たされていなかったからかもしれない。でも、今更どうしようもない。しかし…、

「…やがて子どもは、重要な他人が側にいなくても、肯定的配慮の要求満足と結びついた自己経験を求め、それによって安心するようになる。ロジャーズは、これを自己配慮の要求と名付けている。」

今度は、自己配慮という概念が出てきた。これが問題を解く鍵となりそうだ。ちなみに、フーコーの晩年に『自己への配慮』という本がある。これは偶然か?必然か?それとも欧米か!

カウンセリングの心


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