感察 [読書した履歴]
『日記力―『日記』を書く生活のすすめ』
(阿久悠著 2003年 6月 講談社プラスアルファ新書)
本書を手に取った訳は、自分のブログ(「とりあえず、やってみよう!」)が、「なんなんだろ」「どうなんだろ」っと、気になったからです。
阿久悠さんは、昭和56年から日記を毎日書き続けたそうです。
そして、日記を書くに当たって、
(阿久悠著 2003年 6月 講談社プラスアルファ新書)
本書を手に取った訳は、自分のブログ(「とりあえず、やってみよう!」)が、「なんなんだろ」「どうなんだろ」っと、気になったからです。
阿久悠さんは、昭和56年から日記を毎日書き続けたそうです。
そして、日記を書くに当たって、
たかが日記といえど、オリジナリティのあるものを書きたいという欲求がありました。(略)そういえば、(松本)清張さんが初期に書かれた短編集のあとがきで、~小説も正式に勉強したことないし、何をやっていいかわからない、ただし人の足跡のついていないところを歩いてみたい~と書いています。(略)あくまでも、オリジナリティのある日記にしたいと思いました。(P44~46)そこで阿久悠さんは「日記憲法5ヵ条」を定めました。
<第一条>いい子でもなく、悪い子でもなく、冷静な観察者としての日記というものは成立しないものだろうか。 <第二条>レストランのメニューから米大統領の演説まで、およそ興味を覚えたものは、同格に書けないものか。 <第三条>日々の不快を排除したら、それはもう日記と呼べないものであろうか。 <第四条>受けるものと、発するものと、1ページの中でたたかわせられないか。 <第五条>今日があり、世界があり、そして、自分がありという書き方ができないか。(P48~49)第一条は、客観で書くということです。公開を前提としたブログでならあると思います。しかし、そもそも非公開が前提の日記で、感傷でも自虐でもない内容は新しい…。
客観は距離です。僕とその日の世界との距離、記録者の僕と生活者の僕との距離を認めながら、淡々と書くことが重要だと思います。(P153)と、いわれても、私にはわかったようでわからないし、そう書こうとしても書けない。なぜなら、書く前が違う。基本が違う。
僕の仕事の特徴は、ささやかな観察としたたかな「感察」が基本になっている気がします。「感察」なんて言葉は、実際には存在しないんですけど、僕の感性の目でとらえるということです。(略)政治とか経済とか歴史とか、マクロの視点で語られるものばかりで構築されると、人間は痩せてしまいます。この巨大なものに対するのに、人間のパフォーマンスはせいぜいが、しぐさであり、表情であり、近ごろ希薄になってきた言葉であり、というのは如何にも心細い。でも、人間とはそういうものですよね。その範囲のものを精一杯もっと大切にしたほうがいいと思う。(P132)その上で、阿久悠さんの「感察」対象は、時代の風です。
日本人は情報というものをトレンドやブームをいち早く察知して、そこに行ったり、見たり、体験したりすることのようにとらえてはいないでしょうか。(略)そうではなくて、何か大切なこと、熱風が渦巻いているその横で何が起きているのか、何が生まれているのか、何が消えていくのか、それを見つけることこそ、「時代の風」を感じることです。(P74~75)結論。本書を読んだから、ブログをどうこうしようということまでは及ばなかった。しかし、下線部のところは取り入れていこうと思う。私が「感察」して、どう行動したか…乞うご期待!
渋い本を選びますねえ。
阿久悠さんがこんな本を書いていようとは知りませんでした。
かぜでぶっ倒れています。
by 名古屋の虎 (2009-02-09 16:56)