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ふあん [読書した履歴]

新しいキルケゴール―多者あるいは複数自己の理論を求めて』を読んでいる。
なかでも、P193~208の「不安の概念」というところは、もう5回くらい読んでいる。

わたしなりに、一度整理してみる。
①不安は、前提をもっている(不安それ自身では成り立たない)。
②その前提とは、全うな状態のことである。
③不安は、全うな状態から離れることで生じる。
④全うな状態から離れることで、《閉鎖的》《否定的》な状態を《とる》。
⑤《閉鎖的》《否定的》な状態を《とる》とは、〈善〉を失う方向に〈意志〉することである。
⑥ちなみに、〈善〉とは「成すべき事や実現されるべき事」である。
⑦この〈善〉から離れた状態で、不安がさらに生じる。

と、まあ、試しに整理してみた。が、うまくない。この部分の凄さを、よく理解できていないのだろう。

不安といえば、森田正馬だったり、ある意味フロイトだったりするが、ここの部分で言われていることは、その二人が言っていることとはまた違うことをいっているように感じる。

それは、たぶん不安をそれ自体としてはみない、という点だ。つまり、不安を何かとカップルとしてみるという発想だと思う。そういう発想だからみえてくるものがあるような感じがする。
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