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とほほ [読書した履歴]

迷う心の「整理学」―心をそっと置いといて (講談社現代新書)こんな本を買いました。
『迷う心の「整理学」―心をそっと置いといて』
(増井武士著 1999年12月 講談社)

良質な本である。臨床現場の実践で得た方法、手順などがわかりやすく示してあった。それが第二部で、第一部は、それがどういう臨床か、どういう現場かということについてかかれている。それは、簡単にいってしまえばカウンセリングという仕事の場面でのことである。

では、何をどうするために、か。心理的な辛さ、苦しさらを上手にしのぐために。言い方を変えれば、辛さ、苦しさらということと自分自身との関係を少しかえて、少し楽になるために、「心の整理」をしてみましょう、と。それのいい方法がありますよ、と。

ちなみに、ここでは8つのステップが紹介されている。まだ、一度読んだだけなので理解が薄い感じもある。しかし、読んでいてとても示唆に富んでいて刺激的である。特に「横から眺める」というのが面白い。これは、いろいろな問題や気がかりなことを置いて(置くといっても、実際に物を置くのではなく、想像上で)、その置いた自分と問題をからだの位置を動かして横から眺める、という方法である。詳しくは、本書参照。

で、まあ、読んでみて、鍵となるのはやっぱ「フェルトセンス」だなあ、と。フェルトセンスは、フォーカシングのキイ概念である。だから、逆にいうと、本書はフォーカシングのひとつの応用編ともいえないこともないだろう。特に、イメージにウエイトをおいた方法ともいえないこともないだろう。

このような技法は、カウンセリングの場面で「こうしなければいけない」となってはたぶんクライアントもカウンセラーの辛いだろう。むしろ、一つの技法にカウンセラーがこだわってしまうと、有害になってしまう。だから、要注意である。それは、理論とか、流派とかいわれるものも同様である。そのあたりは、ジェンドリンがある本で指摘している。以下、それを引用しておく。
技法についてと同様、どんな理論も、もし相手の人を理論通りにとらえたりすれば有害なものになってしまう。人は、誰かなのであって、何かではない。この一人の人間は、ここに生きている存在、私たちの目の前にいるその人なのである。そして、その人は、一刻一刻新たにそこにいるのであり、理論や技法ではとらえきれない存在なのである。(中略)技法と理論は不可欠なものではあるが、それは、クライアントその人と私たちの関係の中で用いられてはじめて生きてくる。関係の中で相手への押しつけにならないように、相手とのかかわりを損なわないように用いることではじめて、道筋や理論は、その関係の中で取り組むべき課題を提供してくれる。どの道筋を使うにしてもどのような方法を使うにしても、これまで述べてきた関係上の条件を満たしながら適用しなければならない。
ちなみに、ここでいう「関係上の条件」は、①プレゼンス②リスニング③フォーカシングだろう。つまり、②リスニング=傾聴、③フォーカシング=焦点化より以前に、①プレゼンス=存在(いま、ここ)がある。それがあっての、②や③であるということだろう。もちろん、ロジャースのカウンセラーの三条件のことではない。

また、ジェンドリンは同じ本で、何かの技法や理論の専門家になるよりは、いろいろな技法や理論(たとえば、フロイドの精神分析やユングだったり、認知的アプローチや行動的アプローチだったり…)を自由に使える方がいいんだ、そのことの利点の方が大きいんだ、みたいなことを書いている。つまり、それらを一応体系的に知っており、それぞれの技法を2,3使えて、それらを「フェルトセンス」を核、かなめとして、いろんな場面に応じ、いろんな道筋を見出していこう、みたいなことを書いている。…いやはや、なかなか奥が深いし、幅も広いことである(トホホ)。
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