燃費 [好きなもの]
今日、スーパーである公式に気づく。それは、リキュール(発泡性)①とビールの関係性である。
私は毎晩ビールを呑んでいる。平日はアサヒのクリアドライ(黄色)、週末はアサヒのドライ(銀色)。前者は、リキュール(発泡性)①。後者は、ビール。週末は、ご褒美の意味で価格の高い方を呑む。ここで、リキュール(発泡性)①をA、ビールをBとする。すると…
【1】A500㍉㍑1本+B500㍉㍑1本=【2】A350㍉㍑×2本+B350㍉㍑1本=どちらも465円
【1】の合計=1㍑。【2】の合計=1.35㍑。
さて、ここからが問題。
どのような呑み方が良いか?
ちなみに、私が1日に呑む量は0.85㍑。つまり、500㍉㍑1本と350㍉㍑1本。
まず、組合せを考えてみる。
(1)A500㍉㍑1本+B350㍉㍑1本=185円+215円=400円
(2)A350㍉㍑1本+B500㍉㍑1本=125円+280円=405円
(1)<(2)。だが、わずか5円の差。ほとんど差がない。
次に、1週間単位で考えてみる。
(3)今までの呑み方
(A500㍉㍑1本+A350㍉㍑1本)×6日+(B500㍉㍑1本+B350㍉㍑1本)×1日
=(185円+125円)×6+(215円+280円)=2355円
(4)上記(2)の呑み方
(A350㍉㍑1本+B500㍉㍑1本)×7日=405円×7=2835円
(3)<(4)。今までの呑み方の方が安い。
差は、480円。量を日数でいうと1㍑=465円とすると×0.85㍑で395円となり、約1.2日分。
さらに、1ヶ月単位で考えてみる。1ヶ月を30日、4.3週間とする。
(3)×4.3=約10127円。(4)×4.3=約12191円。差は12191円-10127円=2064円。
量を日数でいうと、1.2日×4.3週間=約3日。
すなわち、1ヶ月で(3)と(4)の二つの呑み方では、2千円。日数で3日違う。
さて、ここからは判断基準をつくる。その判断基準で、どちらが良い呑み方かを決める。
我々人間には、内在性の場というものがある。内在性の場というものは、多数の多様体がすみ、生育する場である。ここで、ビールを呑むということは、その多様体をさらに新しく生産することである。
いいかえれば、いわゆる“欲”を欠如としてではなく、生産としてとらえ、充実した身体をつくることと考える。したがって、ビールを呑むことは充実した身体をつくることである。
しかし、問題はその強度である。つまり、(ビールが与える身体への強度の差異)÷(価格の差異)=強度だ。私は、ここで強度という判断基準(=概念)をつくった。
あとは、その判断基準にしたがって、どちらが良いかを決めよう。そうしようと思う。判断は………。
じゃあ~ん、(3)=今までの呑み方なんやねん!
私は毎晩ビールを呑んでいる。平日はアサヒのクリアドライ(黄色)、週末はアサヒのドライ(銀色)。前者は、リキュール(発泡性)①。後者は、ビール。週末は、ご褒美の意味で価格の高い方を呑む。ここで、リキュール(発泡性)①をA、ビールをBとする。すると…
【1】A500㍉㍑1本+B500㍉㍑1本=【2】A350㍉㍑×2本+B350㍉㍑1本=どちらも465円
【1】の合計=1㍑。【2】の合計=1.35㍑。
さて、ここからが問題。
どのような呑み方が良いか?
ちなみに、私が1日に呑む量は0.85㍑。つまり、500㍉㍑1本と350㍉㍑1本。
まず、組合せを考えてみる。
(1)A500㍉㍑1本+B350㍉㍑1本=185円+215円=400円
(2)A350㍉㍑1本+B500㍉㍑1本=125円+280円=405円
(1)<(2)。だが、わずか5円の差。ほとんど差がない。
次に、1週間単位で考えてみる。
(3)今までの呑み方
(A500㍉㍑1本+A350㍉㍑1本)×6日+(B500㍉㍑1本+B350㍉㍑1本)×1日
=(185円+125円)×6+(215円+280円)=2355円
(4)上記(2)の呑み方
(A350㍉㍑1本+B500㍉㍑1本)×7日=405円×7=2835円
(3)<(4)。今までの呑み方の方が安い。
差は、480円。量を日数でいうと1㍑=465円とすると×0.85㍑で395円となり、約1.2日分。
さらに、1ヶ月単位で考えてみる。1ヶ月を30日、4.3週間とする。
(3)×4.3=約10127円。(4)×4.3=約12191円。差は12191円-10127円=2064円。
量を日数でいうと、1.2日×4.3週間=約3日。
すなわち、1ヶ月で(3)と(4)の二つの呑み方では、2千円。日数で3日違う。
さて、ここからは判断基準をつくる。その判断基準で、どちらが良い呑み方かを決める。
我々人間には、内在性の場というものがある。内在性の場というものは、多数の多様体がすみ、生育する場である。ここで、ビールを呑むということは、その多様体をさらに新しく生産することである。
いいかえれば、いわゆる“欲”を欠如としてではなく、生産としてとらえ、充実した身体をつくることと考える。したがって、ビールを呑むことは充実した身体をつくることである。
しかし、問題はその強度である。つまり、(ビールが与える身体への強度の差異)÷(価格の差異)=強度だ。私は、ここで強度という判断基準(=概念)をつくった。
あとは、その判断基準にしたがって、どちらが良いかを決めよう。そうしようと思う。判断は………。
じゃあ~ん、(3)=今までの呑み方なんやねん!
我執 [好きなもの]
昨夜、坐禅をしてきた。これで4回目になる。いつもと同じように、調身、調息、調心の順にただ座る。だが、よかった。
今回は、住職の話を聞けた。図解をすると次のようになる。
自分 自我
---------------
△
自然の分身 我執
このようにバランスがとれているいる状態がよい。しかし、我執、つまり自分でコントロールできないほど強く我を通す心にとらわれるとバランスが崩れてしまう。つまり、自我=我執が上になる(すなわち、自分=自然の分身が下)。そして、うまくいかないとさらに上へ、上へと傾いていく。しかし、そういうときは実は下に原因があるという。すなわち、自然の分身である自分を見失っているという。
私は、今回の話を聞きながら、その日偶々うまくいかないことがあったがそれが他人やシステムの問題だとばかり考えていたが、どうも自分自身に謙虚さや感謝する気持ちがなかったためではないかと気づいた。少し、高慢、有能感、思い上がっていた。それは、ひとりの人間としてもそうだし、カウンセラーとしてもそう。感謝の気持ちをもち、カウンセラーの基本である「傾聴」を心がけようと思った。
このように、住職は坐禅の効能を説明してくれた。また、我執がある程度を越えてしまったひとはもうどうしようもないともいわれた。つまり、人間は2~3歳くらいにはすでに我というものがあるが一線を越えた人は自己中心的な考え方が身についてしまって(住職には)どうしようもできないといわれた。
う~む…(無言)
今回は、住職の話を聞けた。図解をすると次のようになる。
自分 自我
---------------
△
自然の分身 我執
このようにバランスがとれているいる状態がよい。しかし、我執、つまり自分でコントロールできないほど強く我を通す心にとらわれるとバランスが崩れてしまう。つまり、自我=我執が上になる(すなわち、自分=自然の分身が下)。そして、うまくいかないとさらに上へ、上へと傾いていく。しかし、そういうときは実は下に原因があるという。すなわち、自然の分身である自分を見失っているという。
私は、今回の話を聞きながら、その日偶々うまくいかないことがあったがそれが他人やシステムの問題だとばかり考えていたが、どうも自分自身に謙虚さや感謝する気持ちがなかったためではないかと気づいた。少し、高慢、有能感、思い上がっていた。それは、ひとりの人間としてもそうだし、カウンセラーとしてもそう。感謝の気持ちをもち、カウンセラーの基本である「傾聴」を心がけようと思った。
このように、住職は坐禅の効能を説明してくれた。また、我執がある程度を越えてしまったひとはもうどうしようもないともいわれた。つまり、人間は2~3歳くらいにはすでに我というものがあるが一線を越えた人は自己中心的な考え方が身についてしまって(住職には)どうしようもできないといわれた。
う~む…(無言)
詰物 [好きなもの]
成道 [好きなもの]
12月8日(昨日)、坐禅をしてきた。仏典によれば、12月8日はゴータマ・シッダールタ(お釈迦さま)が坐禅をし、悟りを完成した日と伝えられている。昨日の禅寺でも特別な日ということで、坐禅の後、お釈迦さまの掛け軸を拝見し、お粥を手のひらに頂いて食べた。お赤飯のお粥のような味だった。
この日は3回目。順に、姿勢、息、心を整えていく。少しは馴れてきたみたい。
坐禅をしていると、精神と身体のバランスが合って、自分という曖昧に広がった境界が一つの軸に収束していくような感覚がする。そして、自分以外の物事(例えば、風の音や足音…などなど)を客観的に感じられる。また、息を吐く途中、すごく気持ちがいい瞬間がある。そんなときは嬉しくなる。
このように、私は月に一度、きちんと静かに止まってみることをした方がいいみたい。
坐禅をしながら、「あと6回(半年)は続けてみようかなぁ…」という考えが頭の中をよぎった。しかし、この考えは次に繋げなかった。なぜなら、坐禅中は、頭の中に浮かんできたことはすべて“追わず、払わず”“思ったら、思いっぱなし…”“呼吸三昧”にしなければいけないから…
この日は3回目。順に、姿勢、息、心を整えていく。少しは馴れてきたみたい。
坐禅をしていると、精神と身体のバランスが合って、自分という曖昧に広がった境界が一つの軸に収束していくような感覚がする。そして、自分以外の物事(例えば、風の音や足音…などなど)を客観的に感じられる。また、息を吐く途中、すごく気持ちがいい瞬間がある。そんなときは嬉しくなる。
このように、私は月に一度、きちんと静かに止まってみることをした方がいいみたい。
坐禅をしながら、「あと6回(半年)は続けてみようかなぁ…」という考えが頭の中をよぎった。しかし、この考えは次に繋げなかった。なぜなら、坐禅中は、頭の中に浮かんできたことはすべて“追わず、払わず”“思ったら、思いっぱなし…”“呼吸三昧”にしなければいけないから…
坐禅 [好きなもの]
今月も座禅会へいってきた。
●今回の学び(メモ)
・半眼=下から光が入る感じ
・調心=追わず、払わず
・呼吸=20秒に一回、1分に3回(普通は、3秒に一回)
・会得=ある程度までは自分で学ぶ、指導(修行)はそれから。
・質問=自分の急所。自分の一番の課題。
・自我=自然+我執。自然>我執。
●今回の学び(メモ)
・半眼=下から光が入る感じ
・調心=追わず、払わず
・呼吸=20秒に一回、1分に3回(普通は、3秒に一回)
・会得=ある程度までは自分で学ぶ、指導(修行)はそれから。
・質問=自分の急所。自分の一番の課題。
・自我=自然+我執。自然>我執。
偶々 [好きなもの]
偶々だが、「http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html」というブログを見つけた。
『知の編集術』(講談社現代新書)の著者松岡正剛氏のブログだった。
「http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1082.html」記事がきっかけだ。
で、その内容に驚いた。「こんな文章に今まで出会ったことがない」と…。
これまで、翻訳者の解説をよんだり、ある大学教授の類似書を読んだりしたことはあった。
しかし、実のところピンとこなかった。
でも、松岡正剛氏の解説には正直驚いた。
正確に内容を捉えていると思うし、なんといっても自分の感性に合っている。
いったい何者なの? この方…。 ちょっと、ビックリ・クリクリ・クリックリ!!
『知の編集術』(講談社現代新書)の著者松岡正剛氏のブログだった。
「http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1082.html」記事がきっかけだ。
で、その内容に驚いた。「こんな文章に今まで出会ったことがない」と…。
これまで、翻訳者の解説をよんだり、ある大学教授の類似書を読んだりしたことはあった。
しかし、実のところピンとこなかった。
でも、松岡正剛氏の解説には正直驚いた。
正確に内容を捉えていると思うし、なんといっても自分の感性に合っている。
いったい何者なの? この方…。 ちょっと、ビックリ・クリクリ・クリックリ!!
選挙 [好きなもの]
A助「こんにちは~」
B助「いらっしゃいませ~」
A助B助「ツーニートで~す」
A助「今日、アメリカの大統領がオバマ氏に決まったんだって」
B助「へぇ~、そうかい」
A助「“小さな政府“から“大きな政府”へと方向転換するんだって」
B助「へぇ~。そうかい。だから、何?」
A助「福井県小浜市のひとは大喜びだってよ」
B助「へぇ~。そうかい。それで…」
A助「それだけ」
B助「それだけかい!」
A助B助「ありがとうございました~」
B助「いらっしゃいませ~」
A助B助「ツーニートで~す」
A助「今日、アメリカの大統領がオバマ氏に決まったんだって」
B助「へぇ~、そうかい」
A助「“小さな政府“から“大きな政府”へと方向転換するんだって」
B助「へぇ~。そうかい。だから、何?」
A助「福井県小浜市のひとは大喜びだってよ」
B助「へぇ~。そうかい。それで…」
A助「それだけ」
B助「それだけかい!」
A助B助「ありがとうございました~」
少年 [好きなもの]
空手 [好きなもの]
先ほど、空手(新極真会)の道場を見学してきた。しかも、小学生のクラス。
先生は「空手の心」になるようにと言う。つまり、学校のこと、家のことは捨て、空手だけに意識を向けるように指導していた。来た子から、正座をし黙祷をする。道場は徐々張りつめた空気にかわった。
稽古は小一時間。その間は子どもたちは真剣である。きょろきょろする隙もなく、次から次へと稽古が続く。少しでも「空手の心」からそれるようものなら、檄が飛ぶ。正座させられる。厳しい。容赦ない。
だが、よくみると稽古中の子どもたちの顔は子どもではなく大人だ。び~っくり。小学生のはずが…。しかし、稽古が終わると、そのとたんじゃれあいが始まった。やっぱ、子どもだ。そのきりかえの早さにまたび~っくり。おそらく、そういうとらわれない心の鍛錬の場なのだろうと思った
先生は「空手の心」になるようにと言う。つまり、学校のこと、家のことは捨て、空手だけに意識を向けるように指導していた。来た子から、正座をし黙祷をする。道場は徐々張りつめた空気にかわった。
稽古は小一時間。その間は子どもたちは真剣である。きょろきょろする隙もなく、次から次へと稽古が続く。少しでも「空手の心」からそれるようものなら、檄が飛ぶ。正座させられる。厳しい。容赦ない。
だが、よくみると稽古中の子どもたちの顔は子どもではなく大人だ。び~っくり。小学生のはずが…。しかし、稽古が終わると、そのとたんじゃれあいが始まった。やっぱ、子どもだ。そのきりかえの早さにまたび~っくり。おそらく、そういうとらわれない心の鍛錬の場なのだろうと思った
野球 [好きなもの]
私が所属する野球チームのユニフォームが来シーズンからかわります。
えんじに黒のふちどりで、うでにはラインが入ります。
1992年からですから、来年は17年目。心機一転、頑張ります
ちなみに、メンバー募集中!!
学歴不問。経験不問。資格不問。
年会費1万円(ユニフォーム代別)
野球 [好きなもの]
唐突ですが、草野球の試合の案内です。
日 時 10月26日(日)正午(11:30集合)
場 所 富山県射水市薬勝寺グランド
ただいま、メンバーがひとり足りません(泣)。
グローブ持参の上、直接、来てくださいませ。
ちなみに、私の所属するチームは、アウトローズです。よろしく
日 時 10月26日(日)正午(11:30集合)
場 所 富山県射水市薬勝寺グランド
ただいま、メンバーがひとり足りません(泣)。
グローブ持参の上、直接、来てくださいませ。
ちなみに、私の所属するチームは、アウトローズです。よろしく
芸術 [好きなもの]
コントオムニバス2008
劇団ひだりうちわ公演
日時 11月8日(土)午後4時開演
場所 富山市民芸術創造センター舞台稽古場
料金 無料
内容 ①ピエロ②成分③告白④心理戦⑤幻覚カプセル⑥痴情の縺れにモツレ
主催 富山市、(財)富山市民文化事業団(=『とやま芸術パーク祭』)
これ、見に行きたい
劇団ひだりうちわ公演
日時 11月8日(土)午後4時開演
場所 富山市民芸術創造センター舞台稽古場
料金 無料
内容 ①ピエロ②成分③告白④心理戦⑤幻覚カプセル⑥痴情の縺れにモツレ
主催 富山市、(財)富山市民文化事業団(=『とやま芸術パーク祭』)
これ、見に行きたい
饂飩 [好きなもの]
近所に1年ほど前にできた「讃岐うどん」やさんでお昼をたべた。店の外観は普通の民家で、なかは「らしい」雰囲気だった。
醤油うどん(温)+かき揚げ(=550円+200円)を注文。ゆでたてのうどんに醤油、それと葱と生姜。お店のひとに「醤油を少しずついれながら食べてくださいね」と優しくいわれる。
初体験だった。だから、最初はなんとなくぎこちなかった。でも、途中からわかってきた。要するに、ご飯に醤油をかけるのと同じだ。うどんに醤油をかけながら食べればいいのだと(違うか)。
お味の方は、腰のあるモチモチうどんと独特の醤油が絶妙でとてもおいしくいただきました
醤油うどん(温)+かき揚げ(=550円+200円)を注文。ゆでたてのうどんに醤油、それと葱と生姜。お店のひとに「醤油を少しずついれながら食べてくださいね」と優しくいわれる。
初体験だった。だから、最初はなんとなくぎこちなかった。でも、途中からわかってきた。要するに、ご飯に醤油をかけるのと同じだ。うどんに醤油をかけながら食べればいいのだと(違うか)。
お味の方は、腰のあるモチモチうどんと独特の醤油が絶妙でとてもおいしくいただきました
平凡 [好きなもの]
A助B助「こんにちは~、ツーニートです。よろしくお願いしま~す」
A助「あいかわらずやってんの?」
B助「何を?」
A助「何を、って就職活動だよお」
B助「え、まあね。でもね、履歴書に趣味の欄があるでしょ」
A助「うん、あるある」
B助「あれが書けないのよ」
A助「へぇ~、きみ趣味ないの?」
B助「あるけど~、音楽鑑賞とかなんだよ」
A助「平凡だねぇ~、他にないの?」
B助「ないよ。だから、困ってるんじゃない!」
A助「わかった。わかった。で、なに聞いてんの?」
B助「スケッチショウ」
A助「なにそれ?誰も知らないよ!もっとみんなが知ってるのにしたら?」
B助「たとえば…?}
A助「ゴミブクロとか」
B助「………」
A助「ゴミブクロ、知らない?」
B助「それ、ゴブクロ?」
A助「………」
A助B助「失礼しました~」
A助「あいかわらずやってんの?」
B助「何を?」
A助「何を、って就職活動だよお」
B助「え、まあね。でもね、履歴書に趣味の欄があるでしょ」
A助「うん、あるある」
B助「あれが書けないのよ」
A助「へぇ~、きみ趣味ないの?」
B助「あるけど~、音楽鑑賞とかなんだよ」
A助「平凡だねぇ~、他にないの?」
B助「ないよ。だから、困ってるんじゃない!」
A助「わかった。わかった。で、なに聞いてんの?」
B助「スケッチショウ」
A助「なにそれ?誰も知らないよ!もっとみんなが知ってるのにしたら?」
B助「たとえば…?}
A助「ゴミブクロとか」
B助「………」
A助「ゴミブクロ、知らない?」
B助「それ、ゴブクロ?」
A助「………」
A助B助「失礼しました~」
演劇 [好きなもの]
『「幸福論」×「変身」』という芝居を観てきた。
面白かった。千円の価値はあった。本格的な芝居だった。上手。役者さんってそれぞれ味があるわ。ライブは違うね。映画よりいい…。照明や舞台装置もセンスが感じられた。途中、涙が出そうだった。客はほとんど身内だけ?(=マイナー)かいな。
脚本・演出の寺山晋氏のことば(以下、パンフレットより抜粋)。今回上演するものは、カフカの「変身」ではありません。寺山修司の作品がやりたくて題材を選んでいるときに、「幸福論」に出会いました。いくつものテーマに基づいて寺山が幸福論を語っていくのですが、その中にカフカの「変身」が紹介されている1節がありました。興味を持ってカフカの小説を戯曲化していくと、そこには私のよく知る家族が描かれていました(以上、抜粋終わり)。
え~、実は私、「変身」読んでません。だから、芝居でそれを知るつもりでした。本当の「変身」は人間から甲虫類、こがね虫、うじ虫、ゴキブリへと変化するらしい。芝居は、どうも毛虫だけだったようだ。朝起きたら、主人公は毛虫になっていた。そこから始まる。主人公は兄。毛虫の兄は部屋で監禁状態。母に見せないよう世話する妹。心配する母。母はやや危ない。父は毛虫になった兄を攻撃する。
それまで平和だった家族。それが兄が毛虫になったことで一変する。なぜ、兄は毛虫になったのか。兄はパパ-ママ-ボクの家族の原理のもとで幸せに暮らしていた。しかし、兄の成長にともない父親中心の家族の原理がどんどん不満となる。それ自体のなかに閉じこもることに耐えられなくなる。
兄は、袋小路と出口のあいだを動き回っているしかなかった。そこで考え出したのが、変身という手段である。しかも、動物への変身。動物への変身することで、家族の原理の“非領域化”を見いだす。すばらしい発見! 兄は実に強度な逃走の線を描いた。
しかし、この企ては十分でなかった。芝居では、まず妹との関係が崩れる。それまで献身的に毛虫の兄の世話をしていた妹が、兄を嫌いはじめ「家から放りだせばいいのよ!」と叫ぶ。父は「何をしたいんだ」と怒鳴る。母はおどおどするだけ…。結局、“非領域化”の企ては失敗する。
では、なぜ失敗したのか? 兄が出口の最後まで行こうとしなかっためか。家族全員がこの企てで家族を再建するのに十分な力をもっていなかったからか。出口の先にあるはずの場がなかったのか。いったい、何がこのすばらしい企てを阻止したのか。
それは、毛虫だったからだ(笑)。
毛虫に限らず、動物はあまりにも可視化され、あまりにも意味不明で、あまりにも領域化されすぎているからではないか。
兄は、家族の誰からも気づかれることなく、家族の原理を“非領域化”しなければならなかった。ある変化の原理を満たし、その変化を十分なものにし、かならずうまくいくなにかはっきりしたものを保持していなければならなかった。それは何か? それは、家族の目を盗み、家族に嘘をつき、家族を裏切り、家族から逃げ出すことではない。それは、家族には見出せなかった出口を見つけることである。
面白かった。千円の価値はあった。本格的な芝居だった。上手。役者さんってそれぞれ味があるわ。ライブは違うね。映画よりいい…。照明や舞台装置もセンスが感じられた。途中、涙が出そうだった。客はほとんど身内だけ?(=マイナー)かいな。
脚本・演出の寺山晋氏のことば(以下、パンフレットより抜粋)。今回上演するものは、カフカの「変身」ではありません。寺山修司の作品がやりたくて題材を選んでいるときに、「幸福論」に出会いました。いくつものテーマに基づいて寺山が幸福論を語っていくのですが、その中にカフカの「変身」が紹介されている1節がありました。興味を持ってカフカの小説を戯曲化していくと、そこには私のよく知る家族が描かれていました(以上、抜粋終わり)。
え~、実は私、「変身」読んでません。だから、芝居でそれを知るつもりでした。本当の「変身」は人間から甲虫類、こがね虫、うじ虫、ゴキブリへと変化するらしい。芝居は、どうも毛虫だけだったようだ。朝起きたら、主人公は毛虫になっていた。そこから始まる。主人公は兄。毛虫の兄は部屋で監禁状態。母に見せないよう世話する妹。心配する母。母はやや危ない。父は毛虫になった兄を攻撃する。
それまで平和だった家族。それが兄が毛虫になったことで一変する。なぜ、兄は毛虫になったのか。兄はパパ-ママ-ボクの家族の原理のもとで幸せに暮らしていた。しかし、兄の成長にともない父親中心の家族の原理がどんどん不満となる。それ自体のなかに閉じこもることに耐えられなくなる。
兄は、袋小路と出口のあいだを動き回っているしかなかった。そこで考え出したのが、変身という手段である。しかも、動物への変身。動物への変身することで、家族の原理の“非領域化”を見いだす。すばらしい発見! 兄は実に強度な逃走の線を描いた。
しかし、この企ては十分でなかった。芝居では、まず妹との関係が崩れる。それまで献身的に毛虫の兄の世話をしていた妹が、兄を嫌いはじめ「家から放りだせばいいのよ!」と叫ぶ。父は「何をしたいんだ」と怒鳴る。母はおどおどするだけ…。結局、“非領域化”の企ては失敗する。
では、なぜ失敗したのか? 兄が出口の最後まで行こうとしなかっためか。家族全員がこの企てで家族を再建するのに十分な力をもっていなかったからか。出口の先にあるはずの場がなかったのか。いったい、何がこのすばらしい企てを阻止したのか。
それは、毛虫だったからだ(笑)。
毛虫に限らず、動物はあまりにも可視化され、あまりにも意味不明で、あまりにも領域化されすぎているからではないか。
兄は、家族の誰からも気づかれることなく、家族の原理を“非領域化”しなければならなかった。ある変化の原理を満たし、その変化を十分なものにし、かならずうまくいくなにかはっきりしたものを保持していなければならなかった。それは何か? それは、家族の目を盗み、家族に嘘をつき、家族を裏切り、家族から逃げ出すことではない。それは、家族には見出せなかった出口を見つけることである。
坐禅 [好きなもの]
おはようございます。昨夜は、最勝寺(富山市)の座禅会に行ってきました。
とても、面白かったです。こころが落ち着きますね。
毎月8日にあるんですが、何回か続けてみようと思います。
午後7時に集まり、説明があり、お堂に入り、坐禅開始。20分間坐禅。10分休憩、さらに20分間。参加者は間仕切り(薄いロールスクリーン)に向かい座ります。互いに向き合うことなく背中合わせ。背後のロの字型の真ん中には、ろうそくの灯り。住職はそこを音をたてずに歩く。住職の静かな語りとともに、姿勢、息、そしてこころ(意識)を整えていきます。そして、静寂…。
目は半眼。つまり、半分閉じて半分開く。私は苦心した。どうしても目が閉じる。妻にいわせれば私の目は「開ききっていない」という。いつも半眼。これをさらに半分閉じると目が瞑る。んなもんで普通にした。ったらうまくいった。(半眼とは、半分は現実を見、半分は内面を見ているという状態、らしい)
つぎは呼吸。最初、意図的に大きく、なが~く口から吐く。息を全部吐ききる。音がでるくらい。吐ききったら、鼻から吸う。吸うというより入れる。入れるというより入ってくる感じ。これを3回ほど。あとは、鼻だけで静かに息をする。でも、これが乱れちゃうんだな。…っと、昨日はこんな感じでした
とても、面白かったです。こころが落ち着きますね。
毎月8日にあるんですが、何回か続けてみようと思います。
午後7時に集まり、説明があり、お堂に入り、坐禅開始。20分間坐禅。10分休憩、さらに20分間。参加者は間仕切り(薄いロールスクリーン)に向かい座ります。互いに向き合うことなく背中合わせ。背後のロの字型の真ん中には、ろうそくの灯り。住職はそこを音をたてずに歩く。住職の静かな語りとともに、姿勢、息、そしてこころ(意識)を整えていきます。そして、静寂…。
目は半眼。つまり、半分閉じて半分開く。私は苦心した。どうしても目が閉じる。妻にいわせれば私の目は「開ききっていない」という。いつも半眼。これをさらに半分閉じると目が瞑る。んなもんで普通にした。ったらうまくいった。(半眼とは、半分は現実を見、半分は内面を見ているという状態、らしい)
つぎは呼吸。最初、意図的に大きく、なが~く口から吐く。息を全部吐ききる。音がでるくらい。吐ききったら、鼻から吸う。吸うというより入れる。入れるというより入ってくる感じ。これを3回ほど。あとは、鼻だけで静かに息をする。でも、これが乱れちゃうんだな。…っと、昨日はこんな感じでした
漫才 [好きなもの]
買っちゃいました。迷いましたが。でも、想像以上にいい。漫才できるかも…。
(P69には)結婚の挨拶という設定で、「お父さん、娘さんを僕にください」というフレーズでボケをつくる、というところがある。たとえば、「娘さんを僕にください。僕ニートですけど。」というボケ。これは“自虐ボケ”というらしい。
ボケだけで19種類。ツッコミが11種類。凄い分析。そしてボケからツッコミを考える。しかし、意外にも、ツッコミからボケを作ることもできる。これは知らなかった。
では、マイジョブ作「結婚の挨拶~ニート篇~」です。ど~ぞぉ~(パチパチパチ)
(登場)
A助「こんにちは~」
B助「いらっしゃいませぇ~」
(つかみ)
A助B助「ツーニートで~す、どうぞよろしくお願いしま~す」
(導入)
A助「僕たち、こう見えてもニートです。でもね、相方がね、あした、結婚の挨拶に行くんですよ」
B助「そう。う~緊張するなあ~、ちょっと練習したいから、きみ、お父さん役やってよぉ~」
(ネタ)
A助「えへん」(緊張した面もち…お父さん役になる)
B助「はじめまして、B助といいます」
A助「あゆりの父です」
B助「お父さん……、仕事ください」
A助「えっ!そっちかい?」
B助「無職じゃむりかなぁ~なんて」
A助「そりぁまあそうだけど、結婚したいんだろ」
B助「お父さん、あゆりさんを僕にください」
A助「では、志望動機を聞かせてくれ」
B助「御社の経営理念に…って、面接かよ」
A助「お父さんが人事担当ってこともあるだろ」
B助「それもそうだな」
B助「私は、あゆりさんの可愛さに惹かれました。
したがって、あゆりさんを僕にください」
A助「カップとコーンがありますけれど…」
B助「じゃあ、カップで。」
A助「少々お待ち下さい。340円になります」
B助「って、おい!」
A助「お父さんがアイスクリームの店員ってこともあるだろ」
B助「ないない」
A助B助「どうもありがとうございました~」
(P69には)結婚の挨拶という設定で、「お父さん、娘さんを僕にください」というフレーズでボケをつくる、というところがある。たとえば、「娘さんを僕にください。僕ニートですけど。」というボケ。これは“自虐ボケ”というらしい。
ボケだけで19種類。ツッコミが11種類。凄い分析。そしてボケからツッコミを考える。しかし、意外にも、ツッコミからボケを作ることもできる。これは知らなかった。
では、マイジョブ作「結婚の挨拶~ニート篇~」です。ど~ぞぉ~(パチパチパチ)
(登場)
A助「こんにちは~」
B助「いらっしゃいませぇ~」
(つかみ)
A助B助「ツーニートで~す、どうぞよろしくお願いしま~す」
(導入)
A助「僕たち、こう見えてもニートです。でもね、相方がね、あした、結婚の挨拶に行くんですよ」
B助「そう。う~緊張するなあ~、ちょっと練習したいから、きみ、お父さん役やってよぉ~」
(ネタ)
A助「えへん」(緊張した面もち…お父さん役になる)
B助「はじめまして、B助といいます」
A助「あゆりの父です」
B助「お父さん……、仕事ください」
A助「えっ!そっちかい?」
B助「無職じゃむりかなぁ~なんて」
A助「そりぁまあそうだけど、結婚したいんだろ」
B助「お父さん、あゆりさんを僕にください」
A助「では、志望動機を聞かせてくれ」
B助「御社の経営理念に…って、面接かよ」
A助「お父さんが人事担当ってこともあるだろ」
B助「それもそうだな」
B助「私は、あゆりさんの可愛さに惹かれました。
したがって、あゆりさんを僕にください」
A助「カップとコーンがありますけれど…」
B助「じゃあ、カップで。」
A助「少々お待ち下さい。340円になります」
B助「って、おい!」
A助「お父さんがアイスクリームの店員ってこともあるだろ」
B助「ないない」
A助B助「どうもありがとうございました~」
笑い [好きなもの]
青色 [好きなもの]
「好きな色は何色ですか?」と聞かれたら、私は「青色です」と答えると思う。しかし、今日たまたま「青色にもいろいろある」ことを教えてもらった。私は昔から美術が好きだったけど、あまり人から評価されたことはない。でも、もしかしたら青色にもっと気をつけていればよかったのではないかと思った。というのも、色にはいろいろあるけれど青色ほど幅が広い色はなく、その使い方で印象が変わる色はないのではないかと思った。
ちなみに、そのたまたまというのは、あるレストランの写真展の設営準備のときで、ある一枚の作品についてのやりとりだった…
「この写真は構図もモチーフもありきたりのものだけど何か惹かれるなあ」
店長「それはたぶん、この色だよ。この青色がそういう作品にしているんだ」
「なるほど、確かにこの色はなんともいえずいい色ですわ」
店長「作家には、○○ブルーという独自の青色をもつ人がたくさんいるよ」
と、こんな感じだ。
ふ~む。そういうことを知っていれば、私もグラフィックデザイナーになれたかも、それでなくてもいい看板屋になれたかも(ちなみに、私の前職はサイン・ディスプレイ会社の企画営業でした)。
でも、今からでも遅くない。独自のモリタブルーを探すのだ。それも楽しいそうだ
ちなみに、そのたまたまというのは、あるレストランの写真展の設営準備のときで、ある一枚の作品についてのやりとりだった…
「この写真は構図もモチーフもありきたりのものだけど何か惹かれるなあ」
店長「それはたぶん、この色だよ。この青色がそういう作品にしているんだ」
「なるほど、確かにこの色はなんともいえずいい色ですわ」
店長「作家には、○○ブルーという独自の青色をもつ人がたくさんいるよ」
と、こんな感じだ。
ふ~む。そういうことを知っていれば、私もグラフィックデザイナーになれたかも、それでなくてもいい看板屋になれたかも(ちなみに、私の前職はサイン・ディスプレイ会社の企画営業でした)。
でも、今からでも遅くない。独自のモリタブルーを探すのだ。それも楽しいそうだ
触展 [好きなもの]
今日、『触展Ⅶ』にいってきた。触展とは、簡単に言えば芸術作品をさわっても良い展覧会である。
富山市民プラザで10日まで行われている。
今年で7年目。招待作家1名と14組の出品作家の作品からなる。ジャンルは特にない。廃材を使ったものや端正につくられた木工品、存在感のある彫刻もあるし、カルダーのような吊りもの、音響効果を使ったもの、光を使ったもの、もちろん絵画もある。いろいろだ。
ただ、共通するのはどれも“さわってもいいよ”ということである。
馴れないせいか、人物の彫刻などは特に違和感がある。どこをどうさわればいいのか。その気はないのにどうしてもいやらしく思えて楽しい。それだけではない。さらにじっくりさわってみると、彫刻の人物が生きているように思えてくる。そして、さらにじっくりさわっていると、いかに普段、自分が人にふれていないかに気づく。
われわれは見たり、聞いたりする情報量に比べ、さわる情報量が極端に少なくなった時代を生きているのではないだろうか。われわれはもっともっとさわりたいのではないのだろうか(少なくとも私はそうだ)。昔はもっとさわっていたのではないだろうか。情報化が進むにつれ、さわることがどんどん欠落しつつあるのではないだろうか。だから、触覚が鈍感になっている。そんなことまで思う。
触展は主に視覚障害をお持ちの方を対象に行われているが、健常者にもいろいろな発見をさせてくれる<ふしぎでたのしい>展覧会である。
触展ホームページはこちら
http://www.cozy.gr.jp/shokuten/
富山市民プラザで10日まで行われている。
今年で7年目。招待作家1名と14組の出品作家の作品からなる。ジャンルは特にない。廃材を使ったものや端正につくられた木工品、存在感のある彫刻もあるし、カルダーのような吊りもの、音響効果を使ったもの、光を使ったもの、もちろん絵画もある。いろいろだ。
ただ、共通するのはどれも“さわってもいいよ”ということである。
馴れないせいか、人物の彫刻などは特に違和感がある。どこをどうさわればいいのか。その気はないのにどうしてもいやらしく思えて楽しい。それだけではない。さらにじっくりさわってみると、彫刻の人物が生きているように思えてくる。そして、さらにじっくりさわっていると、いかに普段、自分が人にふれていないかに気づく。
われわれは見たり、聞いたりする情報量に比べ、さわる情報量が極端に少なくなった時代を生きているのではないだろうか。われわれはもっともっとさわりたいのではないのだろうか(少なくとも私はそうだ)。昔はもっとさわっていたのではないだろうか。情報化が進むにつれ、さわることがどんどん欠落しつつあるのではないだろうか。だから、触覚が鈍感になっている。そんなことまで思う。
触展は主に視覚障害をお持ちの方を対象に行われているが、健常者にもいろいろな発見をさせてくれる<ふしぎでたのしい>展覧会である。
触展ホームページはこちら
http://www.cozy.gr.jp/shokuten/
決断 [好きなもの]
P263
「判断基準を間違うと、正しい判断は下せない。
決断はある種のギャンブル的要素を含んでいる。」
判断は難しい。なぜならば、絶対正しいという基準がないから。何に重きを置くか。原理原則はあるだろう。たとえば、Aという考えとBという考えがあり、Aという考えに重きを置いて判断するのが正しいというか一般的ということはあるだろう。しかし、原理原則というものは絶対ではない。それを無視して、冒険しなくてはならない場合がある。言い換えれば、大胆に勇気をもってギャンブルしてもよい場合がある、ということだろう。
本書は、野村克也(現楽天イーグルス監督)氏の自伝である。物語風で、楽しく読めた。なかでも、面白かったのは、野村氏が18歳のときに南海ホークスの入団テストを受けて合格し、契約するところ。
契約書には「金84,000円」と書いてあった。当時の高卒の平均初任給は月6,000円余り。しかし、契約書をよく読むと「84,000円」は年収だった。だから、月7,000円である。しかも、寮に月3,000円の合宿費を支払わなければいけない。それを支払うと、残りは4,000円。さらに、靴下、アンダーシャツは全部自前(ユニホームは1軍のお下がり)という。もちろん、契約金はない。契約金は、別名支度金といい、球団側がお願いして「どうぞ入団してください」っていう場合のもの。テスト入団の場合は、むしろ手土産もってきてもおかしくないものなのだ。なかなか厳しい現実である。
この本を読み終えたとき、楽天イーグルス監督の次期監督が直観的にわかった。それはこの本のどこにもなんにも書いてないが、間違いなく星野仙一氏だ。そうあの星野ジャパンの星野だ。私はそう確信したのであった。